高齢社会と災害
阪神・淡路大震災が起きた20年前、高齢者の入居を優先した仮設住宅は「超高齢社会の先取り」といわれた。同じ形のプレハブが並ぶ巨大仮設団地で、高齢の 入居者は自分の部屋が分からずに迷い、被災後の環境変化で認知症が悪化する人も少なくなかった。「孤独死」が相次ぎ、見守りやコミュニティーづくりの支援の必要性が力説された。
そして今、「先取り」といわれた現実は日本のいたるところにある。郡部では、高齢化と人口減少で集落の維持が困難になっている。「孤独死」は 「孤立死」とも言われ、都市部の団地などに共通する課題となっている。
昨年、水害に見舞われた地域を訪れたとき、泥だらけの損壊家屋が長期間残っている理由を聞くと「空き家は解体もできないから」という答えが返っ てきた。集落では、災害前から空き家が増えており、被災した場合、亡き住人の親族や遠方の所有者の意向を確かめるのに時間がかかるという。こんな ところにも、過疎、高齢化の影響が現れてくるのだと気づかされた。
阪神・淡路大震災の被災地では、仮設住宅から多くの高齢者が移り住んだ災害公営住宅が都市の中の「超高齢集落」になっている。兵庫県の調査で は、高齢化率はすでに50%を超え、単身高齢世帯率も46%に達する。入居時の抽選で高齢者を優先したことが大きな要因だが、社会全体が高齢化し ている現状では、住民が入れ替わっても厳しい現実は変わらない。立派な交流スペースがあっても、住民組織にそれを使いこなせる力がない。世話役を 担える人がおらず、自治会の解散に至るケースもある。
「共助」や「互助」の大切さは分かっていても、一人一人が自分の暮らしを維持することに精いっぱいで、コミュニティーづくりの余力がないのだ。
発生から4年を迎える東日本大震災の被災地の復興も、高齢化の問題を切り離しては考えられない。若者の流出に拍車がかかり、阪神・淡路大震災よ りさらに厳しい現実が待ち受けていることは想像に難くない。ただ、今はまだ、個々人の住宅や生活の再建という目の前の課題に立ち向かわねばならな い段階で、地域の将来像に思いを巡らせることができる人は少ないのではないか。
阪神・淡路大震災や東日本大震災の経験から言えることは、日本の災害対策が、人口減少や高齢化という課題を念頭に置いたものでなければならない という点だ。それは、他のアジアの国々と大きく違う。防災も復興も、社会全体が若く、成長していた時代の手法では対応できなくなっている。
近年の災害で、ボランティアやNPOといった外部の支援者の力が注目されるのは、こうした日本社会の特徴と無関係ではないと思う。普段の暮らし でも、さまざまな「支える仕組み」が必要な時代になっている。身の丈に合わない「立派すぎる」施設やインフラを整備する復興は、将来、住民にとっ て大きな負担となることを考えておかねばならない。
【Volo(ウォロ)2015年2・3月号:掲載】
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