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大阪が問う私たちの”これから ”~「都構想」住民投票を振り返って

編集委員水谷 綾

  賛成69万4844 票、反対70万5585票――。2015年5月17日朝8時すぎ、筆者自身も最寄りの投票所に向かい、そのうちの一票を投じた。大阪都構想の住民投票は当日まで「天下分け目の関ケ原」のように語られ、賛否がわずか0・8%差という結果が出た後も、橋下徹市長の政界引退発表や反対票の分析合戦など、過熱気味の報道が展開された。

 しかし実際のところ、お隣の堺市が事実上離脱した段階で当初の絵(青写真)が崩壊していることは市民も薄々わかっていたし、大阪市ベースで都構想が語られることに矛盾を感じる層は少なくなかっただろう。そうした構図や背景がわかりやすい反面、議論の中身は「よくわからない」構造改革案 は、市民の「ノー」でいったん決着したのである。

 都構想を掲げて当選した橋下市長は「ニア・イズ・ベター」をスローガンに「市政改革」を進め、あらゆる施策が大なり小なり影響を受けることになった。都構想でも「大阪市を人口30万人程度の特別区に5分割し、区長は選挙で選ぶ」という枠組みは、「市民に近づいた区政運営」を実現する中核的論点として耳あたりが良く、市民受けした部分もあったと思う。一方、巨額の予算をかけてまで都構想を実現したとして、本当に行政と市民が「ニ ア(近く)」になり「ベター」な市政に変わると確信を持っていた市民は、どのくらいいたのだろうか。

 そう考えると、大阪に渦巻く停滞感は構造の問題というより、自分たち自身が市政をどう考え、どう関わってきたのかを問う「在りよう」の問題に立ち返らざるをえない。

 都構想への賛否は別にして、投票した人には「大阪を良くしたい、変えたい」という思いがあったと思う。民主主義とは、多数派(勝者)による支配 ではないはずだ。今回も都構想反対派=勝者ではない。投票結果を受け私たちが再考すべきは、都構想に限らず少数派の意見に耳を傾け、「ともに考える」姿勢を据え直すことではないだろうか。

 市民活動の原点には、異なる意見や価値観を時にぶつけあい、時にすり合わせながら、課題解決を図ろうとする考えがある。身近な行政の問題についても、この原理は十分に生かせるはずだ。例えば、住民代表である議員と市民がどのように対話していけばいいのか、あるいは地域ベースの団体や社会福祉協議会といった歴史ある組織と市民活動団体は、課題解決にどう連帯してチャレンジしていくのか……。こうした命題について市民活動が学び、獲得してきた価値を社会に発信し、多様な層に「考え、行動する」ことを働きかける必要があるだろう。

 今回の投票結果の正否はわからない。ただ一つだけ言えることがあるとすれば、制度が変わっても、変わらなくても、その制度を運営する人(為政者も、行政担当も、そして市民も)次第、なのである。思想家の内田樹氏は、「私は別に『制度か人間か』の二者択一を迫っているのではない。どちらも必要に決まっている。違うのは、制度を壊すのは簡単で、大人を育てるのは時間がかかるということである」(朝日新聞)と語っている。「市民性を育む」――この仕事抜きに、市民活動は語れないと思う。

 都構想を巡る一連のプロセスで、新たに生み出されたものは、ほとんどないように見える。しかし、議論が生煮えであっても、住民投票という形で市民が自分のまちのあり方を考える機会を得、多くの市民が決断した事実は残った。ドタバタ劇に見えたこの一件を、将来振り返った時に一つの財産であった……と思えるよう、私たちはこれから何を考え、どう動くのか、自問自答してゆかねばならないだろう。

【Volo(ウォロ)2015年6・7月号:掲載】

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