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地方の暮らしと移住政策

編集委員磯辺 康子

 政府は6月、「地方創生」の基本方針として、都市部から地方への高齢者の移住促進を打ち出した。今後、東京などで高齢者が急増し、医療・介護のサービス不足が深刻化するため、地方で高齢者の受け入れ拠点を整備するという。

 方針決定の前には、民間団体「日本創成会議」(座長=増田寛也元総務相)が、政府などに高齢者の地方移住を促すよう求める提言を発表した。それによると、東京圏(東京、埼玉、千葉、神奈川の4都県)の75歳以上の人口は2025年に572万人となり、10年間で175万人も増える見込みだ。介護施設などが不足し、東京圏だけで医療や介護の人材を80万~90万人増やす必要があるとしている。

 地方自治体からは、当然ながら「地方に負担を押しつけるのか」といった批判の声が上がっている。そもそも、受け入れる側の地方でも医療や介護の人材を確保することは簡単ではないし、長年住み慣れた地域を離れる高齢者もそう多くはないだろう。

■デリケートな一線
 先日、新潟県の山深い集落に通い続けて研究をしている大学教員と、地方の暮らしをめぐる話題になった。そのときに出たテーマが「集落の中にあるデリケートな一線」だった。

 都市で育った人間は、郡部の集落の人々は互いに支え合って生きていると考える。わずらわしい側面はあるけれど、地域の結び付きの強さが、いざというときの助け合いにつながると思っている。

 しかし、実は何でもかんでも助け合っているわけではない。「デリケートな一線」は、「何を手伝ってもらうのか」「手伝ってもらった場合にどんなお礼をするのか」といったことについて、住民の中にある暗黙の線を指している。

 酒や食べ物程度の礼で手伝ってもらえることか。お金を払うべきことか。あるいは、手助けを頼んではいけない類いのことか。都市部でも、そうした一線はあるだろうが、郡部では、それが集落の維持にかかわりかねない問題となる。話をした研究者が通う集落で深刻なのは、除雪という。

 その集落は最近まで、雪掘り(家が埋もれるほど降り積もるので、雪を下ろすのでなく「掘る」感覚らしい)を近所の人に助けてもらうことはなかった。一人暮らしの高齢者も自分で掘る。できなければ家族や親族が対応する。それも無理なら、かなりのお金を払って業者に頼む。雪深い地域では、除雪はどの家にとっても大変な問題だ。誰かの負担が重くなることは避けなければならなかった。

 しかし、最近は集落内で除雪を助け合う仕組みが生まれたという。今までのルールでは高齢の住民が山を下りざるを得ず、集落の存続が難しい。「大きな一線を超えた」という研究者の言葉に、日本の地方の厳しい現実と、過疎・高齢化の中で地域を維持しようとする人々の努力を思った。

■住み慣れた土地で「安心」を
 それほど雪深い地域への移住を政府が促すとは思えないが、地方にはどこにいってもそれぞれの暮らしの作法がある。さまざまな地域で、過疎・高齢化の現実に直面しながら懸命に努力する人々の姿に接すると、政府の方針は紙の上の薄っぺらい考えに見える。

 政府が示した方針には、都市部の高齢者が健康なうちから地方に移り住み、医療や介護が必要になれば継続的なケアが受けられるような共同体づくりの構想も含まれる。しかし、そうした共同体の出現によって、地方の住民が築いてきた暮らしのルールが一気に壊されかねない。地元住民の生活にさまざまな影響を及ぼし、特に高齢者にとってはその変化が不安にもつながるだろう。

 数を合わせるだけの地方移住は、都市部の高齢者も望まないはずだ。重要なのは、どこに住んでいようと必要なサービスを受けられ、安心して暮らせること。絵に描いた餅のような構想や方針を出す前に、地方の高齢者の厳しい現実に目を向け、住み慣れた地域で住み続けられる対策を考えてほしい。

【Volo(ウォロ)2015年8・9月号:掲載】

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