「何のために」 : 立ち戻るは、原点。
いやはや、国民的騒動?になってしまった……。国民的アイドルのSMAPが解散!というニュースが流れてからの1週間はすごかった。SMAP自身の生放送でのお詫びでもって騒ぎは沈静化したが、あの過激な報道ぶりには、正直なところ「びっくりぽん!」であった。
なぜなら、私、何を隠そうSMAPファンである。留学から帰国した1994年、SMAPと呼ばれる若者たちが登場してきていることを知って以来、彼らのエンターテイメント性の面白さと能力の高さに圧倒され、陰ながら?見守ってきた。99万人というファンクラブ会員、個々のメンバーが持つ冠番組や様々な挑戦……。中でも、彼らが面白いのは「いかに自分たちが振る舞えば、人々やファンを喜ばせられるか」ということを自然体でやっているところだ。
私たちが取り組む市民活動も、”社会問題の解決”のために賛同者や支援者をいかに増やしていくか、つまり、”ファン”づくりが欠かせない取り組みである。
私自身、20年ほどボランティアコーディネートと市民活動推進という仕事を進める中、社会問題の解決に取り組んでいく人たちは、大きく言うと三つの類型に分かれるのではないか、と見てきた。 ①地域社会を変えたいと考えて動く人(社会変革性重視)
②地域社会に対し、良いことをしたいと望んで動く人(社会貢献重視)
③自分の役割、自分の居場所を地域社会に見出そうとする人(自己肯定感重視)
この三つは、「どれがいい」という話ではない。それぞれの生活の中で何らかの憤りや虚しさを感じ、何かをきっかけに「突き動かされてきた」人々であり、どの側面も大事なことである。個々人の思いやねらいが違っていても、「動こうとする人」がいることが、私たち推進側の大きな励みになるのだ。
ただ、活動や組織のリーダーと呼ばれる人は、①の思いがないと、実際のところ、けん引役になるのは難しい。そんなリーダーは、これら「動こうとする人たち」に「何をするのか」を伝える以上に、「何のために、もしくは、なぜそれを、するのか」という思いを届けることが大事だと感じる。これを考え続けることを怠たると、それぞれの動きが拡散したり、活動がマンネリ化するという事例は枚挙にいとまがない。
わたし発の取り組みは、楽しさが大事だが、楽しさだけに傾斜しすぎると「やること」に埋没してしまう。ボランティアが求めるものは、自分の成長の実感や体験の豊かさ、貢献による社会の変化の実感などがあげられる。地域の課題は、確かにますます複雑化しているが、われら草の根レベルの市民活動は、問いを発信し続け、それに共感する人たちを巻き込む工夫次第で、まだチャンスがあるのではないだろうか。
冒頭の話に戻るが、ここまで騒ぎになったのは、(ひいき目だと言われるかもしれないが)SMAP自身が人々を魅了する”何か”を持っているから……だろう。
私事で恐縮だが、大阪ボランティア協会事務局長を今年3月末で退任し、協会事務局を卒業することになった。50周年を迎えた協会はこれまで、それぞれの立場や利害の違いを乗り越え、協働していく社会を作っていくため何ができるかを常に問い続けきた。この問いを持ち続けてきたことが、ボラ協ファンを半世紀にわたって魅了してきた背景なんだと確信している。
ポスト50年というタイミングを機に新たな革新を図っていくことになるが、その時に持ち続けたいのは、「何をするか?」以上に、「何のために、それをするのか?」という視点だ。これをより深く問い続け発信し、今後の社会に広く届く新たな”物語”にまで昇華させていってほしい。
【Volo(ウォロ)2016年2・3月号:掲載】
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