ボラ協のオピニオン―V時評―

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自ら「責任」を共有し合える社会へ ―認知症者鉄道事故。最高裁判決が問うもの

編集委員早瀬 昇

 2007年、愛知県大府市で認知症の男性(当時91歳)が列車にはねられて死亡した。この事故をめぐり、JR東海が遺族に代替運送などの費用約 720万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁は3月1日、一、二審判決を破棄し、遺族に賠償責任はないとする判決を下した。
 民法714条では法的責任を問えない人の賠償では、監督義務者が責任を負うと定めている。JR東海はこの規定に基づき遺族に損害賠償を求めた。 この法的責任を問えない人とは、認知症の人だけでなく、子どもなども該当する。実際、従来は子どもが起こした事故の責任を保護者が負う事例が一般 的で、過去に多くの賠償事例がある。
 しかし今回は、親が子を監督する責任ではなく、子が親を監督する責任が問われた。認知症患者が10 年以内に700万人を超えるとの推計もあり、他人事ではないと考える人が少なくないなか、判決の結果を評価する意見も多かった(注1)。

 ただし、今回の判決で一件落着とは言い難い。
 今回は事故で損害を被ったのが、リニア新幹線で工事費5兆5000億円を自社負担するというJR東海だったこともあり、JR東海への同情の声は 広がらなかった。しかし、損害をこうむったのが個人や小さな企業だったら、人々の見方は変わっただろう。
 誰もが加害者にも被害者にもなりえる。そこで、犯罪被害者給付制度のように、介護保険に被害者給付制度を組み込むべきだとの提案もある(注 2)。
 この提案は、事故が起こってしまった後の責任を社会全体で負う仕組みだが、合わせてこうした事態を防ぐための責任についても考えねばならない。 他ならぬ介護保険制度は、この予防面も制度の一環をなしているが、現実を見れば、それだけで不十分なことは明らかだ。
 この問題を考える際に、「責任」という言葉の意味に立ち戻ることが必要だと思う。「責任」を国語辞典で引くと「責めを負ってなさなければならな い任務。引き受けてしなければならない義務」(注3)などの意味が解説されている。責めを負う、義務…と、いかにも重い。責任回避という言葉があ るように、忌避されがちなものであり、かつて自己責任論が喧伝された際のように、責任の議論では、やっかいな課題から距離を置こうとする姿勢にな りやすい。
 重い課題を抱える人々に、自己責任、家族の責任ばかりが求められては、孤軍奮闘の状況を生み出してしまう。

 ボランティアなど他者の課題解決に自ら関わろうとすることは、この自己責任論によって孤軍奮闘を強いられる「壁」を乗り越えることでもある。そ れは、責任を問い詰めるのではなく、自ら責任の一端を引き受けることでもある。
 責任を意味する英単語の一つにresponsibility という語がある。その元来の語義は文字通りresponse=応答すること+ability=能力、つまり呼びかけやSOSの声に「応えることができる」 ことだ。ボランティアなど自発的に課題解決に取り組もうとする人々は、この意味での責任を自ら担おうと努力する存在だと言える。
 自ら問題の渦に巻き込まれ、ともに悩み、解決策を探る人々によって、孤軍奮闘する人たちが社会とつながる。そうした人々の存在を信じることで、 なかなか言い出しにくいSOSが発せられやすくなる。さらには、支える人を支える取り組みも広がることで、助け合い、助けられ合う関係が生まれ る。
 先の最高裁判決が残した宿題、認知症の人たちを社会で支えるということは、制度的な整備に加えて、こうしたつながりを再構築することでしか解決できないと思う。

(注1)ただし、今回の判決理由では、献身的に介護をするほど重い責任を問われかねないなどの批判もある。
(注2)『AERA』2016年3月21日号。
(注3)小学館『日本国語大辞典』

【Volo(ウォロ)2016年4・5月号:掲載】

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