「憎悪の出会い」とならないために - 障害者施設入所者殺傷事件に思う
実におぞましい事件が起きてしまった。7月26日、神奈川県にある障害者施設、津久井やまゆり園で起きた殺傷事件だ。戦後最多の犠牲者を出した殺人事件を起こしたのは、入所者をケアする立場にあった人物。抵抗できない障害者を次々に襲った残忍さは虐殺と呼ぶべきものだし、達成感を得たかのような容疑者の表情に言葉を失った読者も多いだろう。
容疑者が衆院議長に宛てた手紙には「障害者は不幸を作ることしかできません」「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」などと書かれていた。優生思想(注1)と呼ばれる極端な発想だが、彼はそれを実行に移してしまった。
この優生思想については既に多くの論評がなされているが、今回の事件は市民活動を進める上でも重い課題を突き付けていると思う。それは、市民活動の意味の一つとされる「当事者意識の向上」に関わる課題だ。
社会の課題を体現する「当事者」という言葉の対語は「第三者」。つまり、「あの人たちは大変だね」などと同情しつつも、所詮、他人事としてしまう立場だ。
社会で起こる問題を他人事としがちな中、市民活動を通じて当事者と出会ったり問題解決に関わる経験を重ねることで、私たちはその社会問題を自分にも関係する事、いわば「自分事」と受け止め、当事者意識を高めていく。ボランティア活動などの市民活動の重要な意味の一つはここにある。
しかし今回の事件は、ボランティア以上に、より深く当事者の生活に関わっていた元施設職員が凶行を起こした。当事者に関わる中で理解を深めるはずが、逆に殺すことに正義があるとでもいうような屈折した発想を得てしまった。なぜ、こんなことが起こってしまったのだろう。 原因解明には今後の捜査や検証が必要だが、その背景を考える上で踏まえねばならないことの一つは高齢者や障害者に対する虐待の実態だろう。
厚生労働省によると13年度に虐待と判断された事例で、ケアする人が加害者であったのは、高齢者で家族等の養護者1万5731件、施設従事者221件、障害者で家族等の養護者1764件、施設従事者263件であった。虐待の多くはケアする人が加害者となって起きている(注2)。
容疑者が「ヒトラーの思想が降りてきた」と語り優生思想の感化を認めている今回の殺傷事件と、日々の介護疲れが起因となりがちな多くの虐待事例には、質的な違いがある。ただし、容疑者が介護の現場での疲れや消耗感の中で、その状況を【打開する理屈】として優生思想的な発想法を見出したとしたら、厳しい介護の現実に事件の遠因があるとも考えられる。
現場に出向き当事者と出会えば、課題を理解し、自分事として問題解決に努力する姿勢に変わる……という構図は実は容易には成立しない。実際、福祉教育のための体験活動が苦役の記憶になってしまう場合もあるし、教員試験受験者に課せられる介護等体験なども十分な配慮がなければ逆効果となりかねない。
さらにケアの営みが日常化する場合、過酷な現実に迫られ、その重みに耐えられない状況では、当事者への理解の芽は萎え憎悪に転化する場合さえあることを、虐待事例の多さが示している。
ケアする人々が徒労感や被害者意識に陥らないためには、孤軍奮闘状態を防ぐことも必要だ。その意味で、現場職員と協働するボランティアの輪を広げるといった地道な取り組みも、今回のような事件を再発させないための土台の一つになると考える。
(注1)障害の有無や人種などを基準に人の優劣を定め、「優秀」な者にのみに存在価値を認め、そうではない者を殺害したり人工的に生まれないように操作したりすることを肯定する思想
(注2)平成25年度「高齢者虐待対応状況調査」「障害者虐待対応状況調査」から
【Volo(ウォロ)2016年8・9月号:掲載】
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