NGO規制が示唆する世界
近年、NGOの活動を規制・排除しようという動きが目立つ。ロシアでは2015年5月、国内で活動する国際的なNGOを規制する法律にプーチン大統領が署名した。中国でも昨年、「外国非政府組織国内活動管理法」が成立したほか、人権派弁護士や活動家の拘束が相次いでいる。中東からの難民受け入れを拒むハンガリーのオルバン政権も、メディア統制と並行しながら、NGO活動について「欧米の意向と資金援助を受けて政府批判をしている」と規制を強めつつあるという。背景として共通するのは、自由主義的な価値観が広がることへの警戒心だ。
これらは独裁的な政権の国々に起きている特異な現象であって、日本から見れば対岸の火事なのだろうか。いや、そうとも言い切れない、と思うのは、ドナルド・トランプ氏が米大統領に就任したからだ。既存メディアや不法移民などを〝敵〟として攻撃するその政治手法は、「市民の連帯を阻む」という点でNGO規制と同工異曲ではないだろうか。
トランプ氏は日本時間の1月21日未明、正式に大統領の座に就いた。本稿は就任式の前日に書き起こしたのだが、「トランプ大統領」という言葉をいまだに消化できないでいる。目の当たりにしてなお、これは現実なのだろうか、この出来事は何をもたらすのだろうか、と考えてしまうのだ。
今回の米大統領選を巡っては、「ラストベルト(さび付いた工業地帯)」「アメリカ第一」「反エスタブリッシュメント(既存の支配層)」「保護主義」などいくつかの象徴的なフレーズがあった。「フェイク(偽)ニュース」と「ポスト・トゥルース(真実)」の2語もそうだ。ネットを通じて偽ニュースが流布され、事実や根拠とは無関係に「正しい」と信じる人がいる。16年を象徴する言葉としてポスト・トゥルースを選んだ英オックスフォード大学出版局のキャスパー・グラスウォール氏は「人々の情報源としてのソーシャルメディアの台頭と、エスタブリッシュメントが発信する事実への不信感がある」と分析した――という(1月16日付毎日新聞朝刊オピニオン面)。つまりこの2語も、同じ背景から生まれた他の象徴的な言葉と相互に関連し合っているのである。
引用した同じ記事には、「トランプ氏の発言(選挙後のものを含む)の69%が『ほぼ間違い』から『大うそ』に分類される」という、米メディアのファクト(事実)チェックサイトの数字も出ている。トランプ氏は自らフェイク情報を発信しているにもかかわらず、批判するメディアを逆に「フェイク」呼ばわりし、しかもそれを支持し、信ずる人がいるという構図なのである。
もちろん「事実」は一つでも、それをどう捉えるのか、視点の違いによって、得られる意味(その人にとっての真実、正しさ)も変わってくる。しかし、元になる事実自体が虚構であれば話は違う。見たい現実、見たい未来を求める人間の習性を利用した、悪質な扇動でしかない。事実に基づく情報を共有できなければ、市民的な連帯は生まれようがない。人々はなるべくバラバラに孤立し、弱い存在のままでいてくれるのが望ましい――。独裁政権とメディア・情報統制が切っても切れない関係にあるのは、このためだ。フェイク情報によって「事実を駆逐する」のがトランプ流とするなら、情報を遮断することで「事実を覆い隠す」のが習近平流とでもいえようか。トランプ大統領がどこまで意図しているかは分からないが、手法の外形的特徴からは、独裁的国家と通じる指向性が読み取れるように思う。
NGOやNPOなど市民活動が作り出す「場」の存在も、連帯には欠かせない。情報のコントロールとNGO規制は独裁の両輪だ。米国は自由と民主主義の本場ではあるが、「トランプ大統領」によって、連帯より分断が目立っているように見える。ヨーロッパの極右勢力の伸張も言われている。市民の自由を狭める動きに、細心の注意を払いたい。
【Volo(ウォロ)2017年2・3月号:掲載】
2024.12
人口減少社会の災害復興―中越の被災地に学ぶこと
編集委員 磯辺 康子
2024.12
追悼 牧口一二さん 播磨靖夫さん
編集委員 早瀬 昇