生活支援サービスの意味するもの
2015年度の介護保険制度改定で介護予防・日常生活支援総合事業に介護予防・生活支援サービス事業が位置づけられ、今年度までに市町村がこれらのサービスを実施するよう義務づけられた。これまでの要介護認定で要支援1と2に判定された人びとが介護サービスから外され、介護難民を生み出すのではないかという批判もあるが、これまで位置づけの曖昧だった生活支援サービスを介護保険制度に加えることが注目されている。生活支援サービスと考えられる家事支援、食事サービス、移動・外出支援などは介護サービスとして認定されてこなかったけれども、介護予防の観点からは重要なサービスとして政府もやっと認めたともいえる。
確かに、介護と生活支援のサービスの線引きは、困難を伴う。栄養価の高い食事支援があれば、高齢者本人も健康で介護制度を使わないで済む。移動の介助や外出支援があるなら残された身体機能が活かされ、介護サービスは少なくて済む。炊事、洗濯、掃除など家事支援も足りないところを補ってもらうだけで、自分の残存能力を活かすことができることは誰もが認めるところではある。庭の草引きやペットの世話など贅沢とされがちなことも、孤独で生きがいを失いかけている高齢者には自立心を促す生活支援になるかもしれない。
問題は、生活支援サービスが事業として経済的、経営的に持続可能なサービスとなり得るのかである。「住民主体による介護予防・生活支援サービス」が期待されているところではあるが、住民による助け合い活動やボランティア活動をサービスとして位置づけて良いのだろうかという疑問は残る。サービスという言葉には「おもてなし」や「心配り」や「ふるまい」など奉仕の心が含まれているのだろうが、介護保険事業の一環として運営するとき、限定も無く際限のない生活支援をサービスとして成立させることができるのだろうか? 事業化したサービスは、時間単位で区切るか定型化した生活援助行為でなければ、利用者も特定できないし、経営の見通しも立てることができない。
くせ者は、「支援」という言葉と内容だ。支援は、サポートという意味に理解したいが、確かに定型化した食事支援、家事援助や外出支援を通じてサポートを行うことで要支援者の自立心や向上心を培うことはできるかもしれない。しかし、それは要援助者と支援者の間の信頼関係や共感関係があって初めて成り立つものであって、生活援助行為だけを切り取ってサービス効果が期待できるのだろうか? 住民やボランティアの主体的な支援を当て込んで「住民主体による介護予防・生活支援サービス」に期待するのはいかがなものだろう。
サービスを一つの商品として経済市場に供給するには介護保険という社会市場であっても定型化し様式化しなければ、流通できない。それに行政サービスとなると基本的には個人給付の形態をとらなければならなくなるし、給付を受ける資格要件、つまり認定や判定が付随してくる。となると、介護認定には至らない生活支援を必要とする人の認定をどうするのかという技術的・手続き的課題が生じてくる。個人給付として判定や認定の要らない生活支援とは、住民団体やNPOなど民間団体が自由に自主的に、介護保険制度とは直接的に結びつかない65歳以上高齢者への個人的支援や集団支援を行うサポートによって成り立つものである。被介護保険者である65歳以上の高齢者が行うボランティア活動や助け合い活動は、本来的には介護保険制度には馴染まないものなのではないだろうか。
【Volo(ウォロ)2017年6・7月号:掲載】
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