ボラ協のオピニオン―V時評―

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「動員」されないために 社会の実相に目を

編集委員増田 宏幸

 最近、一番印象に残った言葉。
 「本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷であるは、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し中傷する点にある。本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである」
 政治学者、白井聡さん(京都精華大人文学部専任講師)の著書「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)から引いた。同書は、天皇への絶対忠誠を求めた戦前の「国体(注)」は敗戦によって消滅し、日本は国民主権の民主主義国へ転生したという〝常識〟を否定。君臨する主体(主権者)が戦前の「天皇(菊)」から戦後の「米国(星条旗)」に変わっただけで、奉ずべき「国体」は継続し、一貫して米国への「異様なる隷属」が続いている、と論ずる。それを端的に示すものとして、日本国憲法に優越する日米安保法体系や、現在の言論状況を挙げる。「親米=愛国」「反米=反日」というねじれた認識がまかり通り、例えば沖縄の米軍基地に反対する者を「非国民」扱いする言説が、ネット空間だけでなく一部マスメディアや政治家からも浴びせられる。先に引用した「奴隷」とは、米国を頂く戦後国体の忠実なる臣民を指す。彼らは隷属状態を自らの利益とするので、奴隷であることを喜んで受け入れ、維持しようとする。沖縄の米軍基地に反対する(「お前は奴隷だ」と指摘する)者は、非難や誹謗中傷の対象となるのである。

 社会のさまざまな矛盾に向き合い、幅広い支援を得ながら課題解決を図る市民活動は「いま、そこにある危機」に目を向けがちだが、背景にある社会の価値観や政治の動向と無縁ではあり得ない。本書を長く紹介した理由は、自分たちが生き、活動している社会がどんな空間なのか、時には歴史も踏まえて実相を考える必要があると思うからだ。
 筆者はこれまでも本欄で沖縄の基地問題などを取り上げ、例えば「阿米(米国にること)こそ危機の本質」と訴え、安倍政権の「問答無用」体質を批判してきた。白井さんの論証を妄信するものではないが、現政権になって「米国の戦争」に日本が巻き込まれる可能性は格段に高まったと考えている。集団的自衛権の容認、安保関連法制定など米国に都合の良い現状改変を積極的に推し進めているからだ。
 一方、国内では何をしているのか。「森友・加計」問題に対する安倍首相答弁、財務事務次官のセクハラ問題における麻生財務相発言、近いところでは萩生田・自民党幹事長代行による「赤ちゃんはママがいいに決まっている」発言などを聞くと、情報公開や人権の尊重といった、市民社会に重要な側面については現状を変えたくないことが分かる。改変と維持――相反する態度に見えるが、矛盾はない。本物の奴隷は臣民として主権者に従い、一方で他者(沖縄や女性)が奴隷的境遇から脱するのを望まないのだ。

 普段はそこまで考えなくて良いことかもしれないが、国の政策や社会の空気がある方向に振れた場合、それに抵抗するのは非常に難しくなる。まして誤りが明らかならともかく、真相を判別しにくければなおさらだ。現に昨年の総選挙で「北朝鮮危機」はそんな旗印として掲げられたし、中国脅威論は常に私たちの隣にある。
 現実に向き合わなければ市民活動は成り立たないが、あまりに近視眼的に「社会の要請」に応えるなら、結果的に誤った活動を選択してしまう可能性もある。それはつまり、意図を持つ者に動員される危険性だ。
 政治や社会の潮流は刻々と変化する一方、多くの犠牲や悔恨の上につかみ取った教訓は普遍的な価値になり得る。自分たちの社会がどのように成り立っていて、現状はどうなのか、そして今後どんな社会(あるいは世界)を実現したいのか……。多忙な日々から一歩引いて考えることも、市民活動の成熟に不可欠ではないかと思うのだ。

(注)広辞苑によると「3 主権または統治権の所在により区別した国家体制。『国体の護持』」(語釈1・2・4は省略)

【Volo(ウォロ)2018年6・7月号:掲載】

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