ボラ協のオピニオン―V時評―

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避難所が象徴する災害対策の貧しさ

編集委員増田 宏幸

 大阪北部地震に西日本豪雨、台風20、21号、北海道の地震と、梅雨時から夏にかけての日本はまさに災害の連続だった。多くの人命が失われ、家屋の被害が出た。交通機関がストップして出勤できなかったり、帰宅難民になったりした人も多かっただろう。かく言う私にもこんなことがあった。
 台風20号が近畿地方に接近した8月23日夜。JR大阪駅から、まだ動いていた各駅停車に乗った。電車は何事もなく進んだが、午後11時半ごろ最寄り駅の一つ手前で停止。「停電で運行再開は未定」だという。しばらく車内で待ったが状況は変わらず、タクシー会社に電話しても全くつながらない。たまらず「一駅歩こう」と決めて駅の外に出た。途端に、傘がひしゃげるほどの強風と土砂降りの雨。2、3歩進んだところで諦め、電車に引き返した。車内にはかなりの乗客がいる。シートに腰を下ろして「朝まで缶詰か」と思っていたら、一人の男性から声が掛かった。「○○まで帰るタクシーがつかまりました。一緒に乗る方はいらっしゃいませんか」。渡りに船とばかりに手を挙げ、他の女性2人と相乗りで最寄り駅にたどり着いた。そういえば……と思い出したのは、1995年の阪神・淡路大震災だった。状況こそ違え、こんな風に助け合ったな、と。

 「阪神・淡路」で思い出したのは、助け合いと同時に避難所の光景だ。厳冬の1月、寒さに震えながら、体育館や校舎の外まであふれた避難者。間仕切りといえばせいぜい椅子や段ボール箱しかなく、プライバシーはほぼゼロ。特に雑魚寝状態は、避難が長期化してもあまり変わらなかったように思う。あれから23年半。この間にあったさまざまな災害で〝見慣れた〟光景は変わっただろうか。
 新聞記事を調べたら、「阪神・淡路」より4年近く前に、避難所のプライバシーに触れた記述を見つけた。長崎県の雲仙・普賢岳噴火の被災者を取材した91年8月6日付の毎日新聞。「せめて、ついたてが一つあれば…」という見出しで、赤ん坊の夜泣きを気にする母親や、ストレス増大を懸念する医師の言葉を取り上げている。この当時から、現場ではプライバシーの問題が顕在化し、意識されていたのである。  個別には西日本豪雨被災地の岡山県倉敷市真備町で、世界的な建築家である坂茂さん考案の間仕切りが設置されたり、北海道地震で町の避難所に段ボールベッドが入ったりした例はある。だが問題が広く共有されたとは言い難く、「阪神・淡路」以来ずっと被災者支援を続ける坂さんも、次のように語る(9月13日付朝日新聞から抜粋)。
 「この23年間、自治体の側から『来てくれ』と言われたことは一度もありません」「どこに行っても役所の対応は同じです。『前例がないから必要ない』が大前提です。仕切りはない方が管理しやすいというんですね。陰で酒でも飲まれたら困るとか」「20年以上っても避難所の雑魚寝の風景は変わっていません」

 避難所というものについて、最低限備えなければならない共通した仕様を定め、制度化すべきだろう。事前に避難者数を予測し、プライバシーを確保しながら暮らすのに何カ所の避難所が必要かを逆算する。そのために必要な段ボールベッドや間仕切り、テントなどを備蓄する。とにかく安全な場所へ、という発災当初はともかく、状況がある程度落ち着いたら事前計画に基づいて避難者を各所へ誘導する。
 個の尊厳を尊重することが、避難所のバリアフリー化を進めるはずだ。社会的弱者を含めて全ての人が、せっかく助かった命をストレスや孤立によって失うようなことがあってはならない。こんな議論を今もしていること自体、災害対策の貧しさを象徴していると言えよう。次の災害は、いつまでも待ってはくれない。

【Volo(ウォロ)2018年10・11月号:掲載】

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