ボラ協のオピニオン―V時評―

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神戸レインボーハウス20年

編集委員磯辺 康子

 阪神・淡路大震災後、親を亡くした子どもの心のケア拠点として建てられた「あしなが育英会・神戸レインボーハウス」が、今年で開設20年を迎えた。
 今、大災害が起きれば、「親を失った子どもの支援が必要だ」と多くの人が思うだろう。しかし、阪神・淡路大震災が起きた1995年当時、その意識は当たり前ではなかった。国も自治体も多くの民間組織も、「災害時に何をすべきか」を事前に考えてはおらず、次々に直面する課題に走りながら対応する状況だった。震災遺児の支援にしても、行政はその人数さえ把握しておらず、必要性を社会に認識させたのは、あしなが育英会という一民間組織だった。

 573人。それが、阪神・淡路大震災で親を失った子どもの数とされている。あしなが育英会の奨学金を受給していた全国の学生やボランティアが、新聞の犠牲者名簿などを頼りに被災地を歩き、見つけた遺児だ。東京に本部を置く同育英会は、もともと阪神・淡路の被災地に足場を持っていたわけではなく、避難所の一角を拠点に活動を始めた。
 「ボランティア元年」といわれた阪神・淡路大震災の市民活動が語られるとき、被災者に対する直接的な支援が注目されがちだが、「遺児を捜す」といった地道な活動に多くのボランティアが参加していたことを忘れてはならないと思う。遺児は住まいも失い、転居を繰り返していることが多く、捜すのは簡単ではない。粘り強い活動の積み重ねで、初めて遺児の実態が把握され、その後の支援活動の基礎が築かれてきた。
 日本初となる遺児の心のケア施設「神戸レインボーハウス」は、震災4年後の99年1月、被災が激しかった神戸市東灘区に開設された。子どもたちが思い切り遊んだり、語り合ったり、放課後に勉強をしに来たり、さまざまな使い方ができる空間がある。開設当時、心のケアプログラムは震災遺児に限られていたが、その後、対象を病気や自死で親を失った子どもたちにも広げた。その経験を受け継ぎ、レインボーハウスは東日本大震災の被災地やエイズ遺児が多いアフリカ・ウガンダなど国内外に開設されてきた。
 神戸レインボーハウスは、約15億円の建設費がすべて寄付でまかなわれた。運営も寄付で支えられている。日本に「遺児支援」や「心のケア」を根付かせた拠点は、いわば「市民の力」で作り上げられてきた。かつて「日本には寄付文化がない」などと言われたが、20年のレインボーハウスの歴史を振り返ると、寄付文化の浸透を実感する。
 市民からの寄付は、遺児家庭に対する震災直後の支援金、奨学金にも充てられてきた。阪神・淡路大震災は「心のケア」の必要性を認識させる一方、生活や住宅という暮らしの基盤の再生がなければ、ケアは実を結ばないという教訓も浮き彫りにした。その観点からすると、物理的、精神的双方の支援を寄付で支えてきたことは、重要な意味があったといえるだろう。

 阪神・淡路大震災から24年がたった今年1月。震災で親を失った遺児や、被災で苦難に直面した子どもたちが成長し、経験や教訓を伝える姿があちらこちらにあった。自身の人生が多くの人に支えられてきたことに感謝し、もらった力を社会に返そうとする思いが伝わってきた。
 もちろん、24年たっても、心の傷が癒えない人はたくさんいる。年齢を重ね、震災当時より生活が厳しくなっていく人もいる。そんな中で、後世に経験を伝えようとする遺児たちの姿は、一筋の希望になる。近年の被災地の人々にも、未来があることを感じてもらえるかもしれない。被災地の未来は市民の力の積み重ねで切り開かれるということを、心に刻んだ震災24年、レインボーハウス20年の節目だった。

【Volo(ウォロ)2019年2・3月号:掲載】

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