市民が裁判員を経験することの意味
2019年5月21日に裁判員制度は十年を迎える。既に7万人以上の人が裁判員を経験し、2万人以上の人が補充裁判員を経験している。そのうち95%以上の人が「(非常に)よい経験」と感じているにもかかわらず(最高裁判所「裁判員等経験者に対するアンケート調査結果報告書(平成28年度)」17年3月)、辞退率の上昇や出席率の低下が著しく、制度推進上の課題となっている。
大阪ボランティア協会「〝裁判員〟裁判への市民参加を進める会(以下、裁判員ACT)」は、19年1月、「よりよき裁判員制度実現のために~裁判員制度がより市民から理解されるようになるための提言書」を大阪地方裁判所へ提出した。提言書は8項目で構成され、「裁判官と裁判員経験者とによる、各地での公開座談会開催」や「経験を話すことは守秘義務に違反しないとの具体的説明」などを提案している(http://www.osakavol.org/pdf/act_teigen190115.pdfに全文掲載)。
今回の提言に至ったきっかけは、「裁判員裁判に対する関心が『(やや)低下している』」と回答した人のなかで、具体的な理由の割合が最も多かったのは、「自分の周囲で裁判員裁判に関わったという声を聞かない」という回答だったことだ(「裁判員候補者の辞退率上昇・出席率低下の原因分析業務」報告書、17年3月、株式会社NTTデータ経営研究所)。それならば、市民が経験者の声に接することができるよう、誰かがその機会をつくれば、改善の一助となるであろう。
裁判員ACTは、毎年12月初旬に、市民を対象とした公開学習会を開催し、実際に裁判員や補充裁判員を経験した人(以下、経験者)の体験談を聞く機会を設けている。裁判員ACTメンバーで弁護士の英樹氏は、経験者が共通して述べる感想が3点あるという。①もし周囲の人や福祉が事前に手を差しのべていれば、この犯罪は起こらなかったのではないか、②刑務所を出所した時にどうなるだろうか、周囲の人が受け入れて社会復帰できるだろうか、③裁判員経験後は、事件報道を見たときに、その事件の背景には何があるのだろうと考えるようになった、というものだ(本誌519号5ページ参照)。
ある経験者は、「被告人の自己責任だけでは片付けられないことが多くあり、人のつながりが薄れた地域社会にも問題がある」と思うようになったという。そして、社会のひずみを背景にした事件を一つでもなくしたいと思い、非行防止に取り組む少年補導員として活動を始めた。別の経験者は、仕事で依存症の人の支援経験があり、被告人には依存症の人によくある特性を感じたという。刑を重くすればよいという単純な話ではなく、更生に向けた適切な支援が必要だと感じたという。そして、「裁判員裁判は、見えない世界を見、社会の中で起こっていることを、自分ごととして感じられる場になってほしい」と話す。ほかの経験者も、裁判員裁判に参加して意識が変わったという人は多い。
市民が裁判員を経験することの意味は何だろうか。まず、司法が身近になったり、自分の世界が広がったりすることがあげられる。また、事案に真剣に向き合うほど、被告人や被害者の立場になって考えてみたり、社会問題に目を向けたり、自分の生き方を見つめ直したりと、自分たちの問題として裁判員裁判を考えるようになることもあるだろう。かけがえの無い経験は、価値観を柔軟に変化させて、人間的な成長を促すことにつながるはずだ。社会の問題を自分ごととしてとらえ、その解決に向けてボランタリーに行動する人が増えると、必ずや市民主体の社会の礎になると筆者は信じている。
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