ボラ協のオピニオン―V時評―

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「安全」を脅かす同調者だけの空間

編集委員増田 宏幸

 「鬼ごっこ」と「隠れん坊」は子どもの遊びの定番だ。もしかすると赤ちゃんをあやす「いないいないばあ」も、この二つの前段かもしれない。隠れたり出てきたり、追いかけたり捕まえられたり。日本だけでなく世界中に同種の遊びがあるらしい。でも、そこでふと思う。地域や世代を超えて受け継がれるには、それなりの理由があるのではないか?
 そもそも人が何かに追いかけられたり、どこかに隠れたりするのはどういった場合だろう。野生動物に襲われた時? 敵に攻められた時? もしそうなら、こうした遊びは周囲に危険があることを警告し、身を守る術を教えるために生まれたのかもしれない。そしてその遊びが続いているのは、人類が真の安全を手にしていない証明なのかもしれない。

 そんなことを考えたのは、今年3月15日にニュージーランド・クライストチャーチで銃の乱射事件が起きたからだ。50人もの人が亡くなったこの事件では、容疑者が自ら一部始終を撮影し、動画をインターネットにアップしていた。2011年7月22日には、ノルウェーで77人が犠牲になったウトヤ島事件が起きた。隔絶された湖の中に現場があり、事件を題材にした映画では犯人から隠れる被害者の姿が描写されている。被害者は安全な場所を求めて逃げ、それが無理なら見つからないように隠れるしかなかった。
 テロは現代文明社会の病理かもしれないが、実は「見知らぬ他人に攻撃される」という状況は、最近まで普通にあったようなのだ。ピュリツァー賞作家で学者のジャレド・ダイアモンドが著した『昨日までの世界』(日本経済新聞出版社)を読むと、例えば飛行機ができて初めてその存在が外界に知られたニューギニア高地の伝統的社会では、「知らない人間」はイコール「敵」を意味した。ある部族の領域に他部族の人間がうっかり入り込んだ場合、その人は殺されるか傷つけられ、あるいは反撃して相手を殺し、それが部族間の争いに発展することもあった。そうした抗争(戦争)における人口比の致死傷率は、20世紀の両世界大戦を上回るほどだったというから驚きだ。詳細は省くが、いま世界の一定の場所で、危険を感じずに見知らぬ他人と一緒にいられるのは、集団間の殺し合いを克服してきた「文明の恩恵」に他ならない。もちろん伝統的社会に学ぶこと(忘れられた美点)も多いのだが、こと安全に関しては、決して後戻りしてはならないのだ。

 しかし……。現在の状況を見ると、異なる考えや意見を敵視する新たな「部族社会」が数多く出現しているように思える。同じ思想で凝り固まり、同調者以外を敵視し、攻撃する人々。その極端な発露が、実力行為としてのテロだ。
 同じ意見だけが飛び交う空間を指す「エコーチェンバー」という言葉がある。閉じた入れ物の中で同種の考えが反響・増幅され、「やっぱりそうだ、自分は正しかったんだ」と安心する空間。エコーチェンバーこそ新たな部族社会であり、潜在的な脅威ではないだろうか。日本の国会を見ても、話のかみ合わないエコーチェンバー的質疑が増えている。沖縄・辺野古沖の埋め立て問題はその最たるものだ。
 異なる考え、意見を尊重することは民主的な社会を維持する土壌であり、その劣化は「安全」の揺らぎにもつながる。そのことを私たちはもっともっと重く受け止める必要がある。土壌を健全に保つために何ができるのか、来たる参院選での投票も一つの手段だろう。鬼ごっこや隠れん坊をたわいない遊びにとどめておくために、テロを生む土壌に目を凝らしたい。

【Volo(ウォロ)2019年4・5月号:掲載】

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