ふるさと納税は寄付ではない~返礼品で失われる共感のつながり~
今年3月に成立した改正地方税法により「ふるさと納税」が6月から新たな仕組みに移行した。過度の返礼品競争を抑制するため「寄付」者に贈る返礼品を「寄付」額の「3割以下の地場産品」に規制することになった他、過度の返礼品競争をあおったとされた泉佐野市など4自治体は制度の対象から除外された。
しかし、そもそもこの制度は真の地域振興や寄付促進といった点で疑問の多い仕組みだ。制度改正にあたり、この点を指摘したい。
ふるさと納税とは実質的に、納税者が、納める地方税の納税先を選択できる制度だ。その際、所得などに応じた上限額までは、「寄付」額から2000円を引いた金額が全額、納税額から控除を受けられる。これだけなら、ふるさとや被災自治体などへ納税先を振り替える仕組みだと言えるのだが、ここで問題となるのが返礼品の提供だ。
お礼状などを除き返礼品を提供していない自治体も一部にあるが、逆に「寄付」額にほぼ近い市場価値の返礼品を提供している自治体もある。総務省が規制する「寄付」額の「3割以下」とは仕入額であって市場価格ではないことから生じる現象だ。税控除を受けられる上限額までなら、いわば2000円の手数料を支払って、これらの返礼品をタダで手に入れることができる、ということになる。
実際、ふるさと納税の紹介サイトは、肉や魚介・海産物、果ては旅行券・チケットなど返礼品の種類から検索でき、ほとんどネットショッピングと変わらない状況だ。こうした中、ふるさと納税の利用は毎年増加し、2017年度には約3、650億円にまで達した。
この制度については、返礼品となる地元産品を「安いから買う」商品にしてしまいブランド価値を下げる、ふるさと納税の紹介業者に支払う手数料が「寄付」額の1割ほどになり全体の税収を減らす、高額所得者ほど有利な仕組みで税の再分配機能を阻害する……など、数多くの問題点が指摘されているが、本稿で問題としたいのは、この仕組みが「寄付」として扱われている点だ。
総務省が運用する「ふるさと納税ポータルサイト」では、「『納税』という言葉がついているふるさと納税。実際には、都道府県、市区町村への『寄附』です」としている。税は基本的に徴税されるものだが、ふるさと納税は自主的に選択し、使途も公共的だ。その点では本来の寄付に似た側面もある。しかし多額の返礼品がある場合、それを寄付とは言い難い。実際、国税庁のサイトでは「寄附金とは、金銭、物品その他経済的利益の贈与又は無償の供与をいいます」と明記している。贈与ではなく返礼品との交換である現状では、これを寄付としてはならない。
まさにネットショッピング化しているふるさと納税を、寄付と呼ぶことの問題は大きい。このような語法が広がれば、本来の寄付でも経済的価値の伴う「返礼品」を期待する風潮が広がりかねないからだ。
本来、寄付者への返礼は、寄付者から託された意志を受け止め、寄付者が共感できる「成果」を生み出すことで実現される。その成果が実感でき、その取り組みに参画したことを喜べる状態を目指すべきだ。平和を願う映画制作にあたり、素晴らしい映画を作るとともに、寄付者の名前をエンドロールに掲載した『この世界の片隅に』は、その好例だ。逆に"モノで釣る"働き掛けでは、モノそのものに関心が集まり、取り組み自体への関心や共感は弱まってしまう (注)。
寄付の成果が共有されることで、寄付者は自身が託した「寄付の力」を実感できる。この関係が循環することで、寄付への信頼感が高まり、寄付者の輪が広がっていく。寄付の文化とは、この「寄付の力」を信じる価値観が社会に広がっている状態だ。安易に返礼品に頼るのではなく、共感を高める努力こそが王道だろう。
(注)内発的な動機付けに関する研究で、この点は明らかだ。たとえば『人を伸ばす力』エドワード・デシ他、『モチベーション3・0』(ダニエル・ピンク)など参照
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