ボラ協のオピニオン―V時評―

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小さな記事の波紋から―情報を読む「頭の体操」

編集委員増田 宏幸

 今年6月、大阪府内の某大学で「メディアの現場」について話す機会があった。この講義は基本的に週1回あり、一線で取材・編集に関わる30~40代の新聞記者が「現場のリアル」を語るのがコンセプトだ。筆者は取材の最前線を離れて久しく、40代以下でもないが、初回と「まとめ」など節目で登壇した。まとめに必要な各回の講義内容や理解度については、200人近い学生が提出する400字程度の文書で把握し、そこに書かれた感想や質問に答える形で自分の回を進めた。その一例を紹介したい。
 ――安倍首相は5月14日、皇居で新天皇に、即位後初の国政報告をした。関連する毎日新聞の記事に、こんなくだりがあった。「(首相は同日)夜、新元号発表に関わった首相官邸幹部らと会食。関係者によると、首相は『前の天皇陛下はいつも座ったままだったが、今の陛下は部屋のドアまで送ってくださって大変恐縮した』と話した」。どうということのない小さな記事の、しかも一部分だが、この記事に対して宮内庁が抗議文を公表した(現在もホームページで読める)。
 その内容(抜粋)は「『前の天皇陛下』」すなわち上皇陛下が、座ったまま総理をお見送りになることはあり得ません。上皇陛下は、行事に際し、宮内庁職員に対しても必ず席を立って挨拶をお受けになっており、外から来られた方を座ったまま出迎え、見送られた例は、相手が誰であれ一度もなかったと思います。(中略)宮内庁は、官邸に記事内容の事実確認を求めましたが、総理は記事にあるような発言はしていないという回答でした」というものだ。学生は恐らくネットの言説でこの件を知ったのだろう。記事が虚偽だという前提で、辛辣<ルビ:しん・らつ>に批判する感想を出してきた。

 筆者は出稿元である東京本社に問い合わせ、取材はいわゆる「囲み」-会食会場から出てきた関係者に報道各社が内容を聞く形式-で、他社も記事中の発言を聞いていることなどを確認した。そこで講義では、「うそをついたのは誰か」という問いを出発点に話した。
〝容疑者〟は4者だ。①記事を書いた記者②取材に答えた会食参加者③安倍首相(官邸)④宮内庁。このうち記者は、他社も聞いているという点で真っ先に除外される。傍証としては、宮内庁の抗議は毎日新聞社に直接来ていない(訂正なども求めていない)、他社もこの件を報じていない、など。②については、そんな場に招かれる参加者が首相の言葉を捏造<ルビ:ねつ・ぞう>(しかも詳細に)するだろうか、という素朴な疑問が浮かぶ。残るは③と④だ。本当に「そんな発言はしていない」のか、「上皇陛下が座ったまま出迎え、見送られた例は一度もなかった」のか。②と④が事実なら③は二重にうそをついたことになるが、上皇は例外的に安倍首相のみ座ったまま見送っていた可能性は残る。となると安倍首相は会食で事実を語ったが、宮内庁の何らかの忖度<ルビ:そん・たく>に呼応する形で発言自体を打ち消したのかもしれない。
 講義では「真相は分からない」とした上で、「上皇が実際にどうしていたのか、その確認が取れないのに書いた新聞社も甘かった」と話した。同時に、新聞であれネットであれ、何かの言説を一面的に信ずる(前提にする)危うさにも注意を促した。それこそが学生に伝えたい第1の項目だったからだ。

 市民活動を含め、どんな活動にとっても情報の大切さは変わらない。人は情報に基づいて判断を下し、行動する。古今東西、情報を巡ってせめぎ合いがあり、犯罪さえ起こるゆえんだ。だからこそ情報は、意図的な発信によって人を動かす道具にもなる。
 誰もが発信者になる時代、情報の吟味は一層重要性を増す。社会がどんな情報に基づいて今を、そして未来を選択していくのか、学生が情報の見方やメディアリテラシーの意義と怖さを読み取ってくれたらと思う。それは我々、市民活動の担い手にとっても同じことだ。

【Volo(ウォロ)2019年10・11月号:掲載】

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