ボラ協のオピニオン―V時評―

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「楽しく学ぶ」危うさ

編集委員磯辺 康子

 阪神・淡路大震災から25年。「四半世紀」という言葉の響きがそうさせるのか、今年は「伝える」ことの難しさがいよいよ身に迫ってくる感じがした。
 震災以降、多くの人が経験や教訓を伝える努力を続けてきた。被災者もボランティアも自治体も企業もそれぞれの立場で発信に力を注いできた。毎年1月17日、震災後に生まれた世代も追悼の場に集まり、祈りをささげている姿を見ると、多くの人の不断の努力があったからこそ、その場が続いていると実感する。
 一方で、この25年、伝え方についてひとつのひっかかりがずっと消えないでいる。非常に個人的な意見で、誤解を招くかもしれないが、災害の教訓を「楽しく学ぶ」ということに、わたしはどうしても強い違和感を持ってしまう。災害を経験していない人も興味を持てるよう、過去の教訓や防災の知恵を「楽しみながら」学ぶ必要性は理解している。特に子どもたちに伝えるときには、遊びの要素を取り入れることは重要だろう。それでも、震災を経験し、神戸を拠点に被災者の声を聞いてきた者として、「楽しく」という言葉が時として被災者の心を傷つける、という側面も伝えておきたい。災害から時が経つと、どうしても被災者の痛みは、将来を見据えた防災の議論の陰に隠れてしまいがちだから。

 阪神・淡路大震災で被災し、親を亡くした女子高生に聞いた話で、今でも思い出すエピソードがある。神戸から近郊の街へ引っ越しを余儀なくされた彼女は、転校先の学校で「地震の時、家族が必死に家具を押さえていた」という話をクラスメートたちが面白おかしく語るのを聞いた。クラスメートにとっては何気ない笑い話。しかし、彼女は「自分だけが笑えなかった」と言った。
 25年もたてば、そうした遺族、被災者の痛みは消えていくと思われがちだ。確かに、震災後に心の支えとなる出会いを重ね、痛みが薄らいでいく人は少なくない。「震災で失ったものは多いが、得たものもある」と笑顔で語る人にも出会う。遺族同士、被災者同士、被災者とボランティア、あるいは異なる災害の体験者同士のつながり。さまざまな人間関係が被災者の力となり、復興の原動力にもなってきた。
 しかし、震災後の人生を笑顔で語ることができたとしても、震災体験そのものを笑顔で語る被災者をわたしはあまり見たことがない。「自分だけが笑えなかった」と言った女子高生が社会人となって再び出会った時も、彼女は日々の暮らしを笑顔で語りつつ、被災体験を振り返るときにはやはり大粒の涙を流した。

 過去の教訓に学び、防災を考えることは、そういう被災者の苦しみをいわば「土台」にした取り組みだ。地震にしろ、水害にしろ、噴火にしろ、わたしたちは常に、過去の災害の死者、家族や家を失った人々から、考える土台を与えてもらっている。その原点をおろそかにして、「楽しく学ぶ」「楽しく伝える」ことばかりに傾倒すると、本当の意味での災害の教訓は伝わらないのではないか。
 実際、大災害が起きれば、被災地は生死にかかわる非情の世界となる。それは、阪神・淡路大震災以降に発生した震災、水害、原発事故などで何万という人が取り残され、命を奪われてきた事実を見ても明らかだ。
 楽しく学ぶ、という取り組みを否定的にとらえてはいない。しっかりとした理念を持って「楽しく学ぶ」必要性を訴え、地道な取り組みを続けている団体もある。ただ、防災にかかわる活動を進めるとき、過去の災害で苦しみを負った人がそこにいるかもしれないという視点は常に持っておく必要があると思う。これだけ災害が頻発している時代だからこそ、そういうことにも敏感でありたい。そして、教訓の伝承は、単に「役立つ知恵」を伝えることではなく、命について考えるという重い意味があることを忘れないでいたい。

【Volo(ウォロ)2020年2・3月号:掲載】

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