ボラ協のオピニオン―V時評―

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する、しない、批判の自由を―『ボランティアとファシズム』から

編集委員早瀬 昇

 厚生労働省は2020年度から、従来は学習が中心だった認知症サポーターを、認知症の人が地域で暮らしやすい環境づくりの担い手として組織化。他の専門職などとの連携も進める「チームオレンジ・コーディネーター」を各地の地域包括支援センターに配置することを決めた。
 「住民相互の支え合い機能を強化する」地域共生社会の実現がめざされるなか、住民の自発的活動に対する国の期待が認知症対策の分野でもさらに進むことになる。

 このように住民の自発的活動を国が積極的に促進し、政策との連動を図る取り組みには長い歴史がある。なかでも社会に大きな傷跡を残してしまったのが、戦時下でのファシズム体制構築に国民が〝自発的に〟関与した歴史だ。
 昨年5月に発刊された『ボランティアとファシズム』(池田浩士著、人文書院)が、歴史的事実を通じて、この経緯を詳細に検証している。
 自発性を本質とするボランティアと、強い束縛を生み出すファシズム。意外な対比だが、現実は「ファシズムは、ボランティア活動のその自発性と結束を不可欠の構成要因としながら、束縛に満ちた国家社会を実現した」ことを実証している。
 本書ではファシズムを「危機の時代からの脱却や、危機的状況の解消を実現するための、全社会的・全国民的な運動の一形態」と定義。共産主義の広がり、世界恐慌、他国との紛争……。さまざまな事態を社会・国民の「危機」だとあおり、この危機への「全社会的・全国民的」な運動が組織されるなか、運動への反対者はもとより特に積極的に参加しない人々も強く非難され、強い束縛が支配する世界が生まれてしまった。
 ところが、このファシズムが席巻する社会が築かれる過程で人々の自発的な取り組みが大きな役割を果たした。戦時下の日本政府は、この自発的な行動を〝動員〟するため、ヒットラー・ドイツの「労働奉仕」による社会貢献活動の制度化などを研究。学生生徒の勤労奉仕が推進され、満蒙開拓団や大政翼賛運動などが、国民の自発的運動として組織されていく。
 そこで本書は、「国家が国策に沿って国民の社会活動を制度化しようとするとき……自然発生的な、他よりの指導勧説を俟たずして行われてきた、隣保共助の精神にもとづく勤労奉仕の風習が、蘇生し、活力を発揮する」「各自の自発性と主体性に根ざした共同性は、ボランティア活動の制度化や強制に抵抗し反発するのではなく、むしろその潤滑油となり推進力となりうる」と書く。国家は「農山漁村民に脈々と生きてきた…(略)…隣保共助、相互扶助を旨とする」ボランティア「精神を讃え、美化しながら、国民の自発性を戦争のために総動員した」。そして「人びとは、窮屈な強制によって窒息させられていたにもかかわらず、いや窒息させられていたからこそ、自発性と創意を発揮する行ないの機会を得ることによって蘇生した」のだった。
 大陸の花嫁、特攻隊、学徒出陣……へと人々は〝自発的に〟駆り立てられ、結果として「自発性を使い棄てられた人びと」を大量に生み出すこととなった。

 この歴史を〝過去の出来事〟だとは言い切れないのが、私たちを取り巻く現在の状況だ。社会保障制度の持続可能性が問われる「危機」が語られるなか、「地域共生社会」の実現に向け、住民の自主的活動への期待が高まるばかりだ。  その一方で、実際上、安保法制を批判する団体の排除を目的に市民活動支援施設が指定管理施設から直営施設に変更された「さいたま市市民活動サポートセンター」事件が起こるなど、自由に市民活動を進められる「市民社会スペース」と呼ばれる場の縮小が懸念されている。  実は、今は当時と似ていなくもない状況なのだ。だからこそ、あくまでも市民が主体的に自由に社会活動に取り組める環境を築かねばならない。  そのためには、多様な異論を認め合うこと、権利主張や政策提言型の運動も尊重すること、さらに活動しない自由も含めて、ボランティア活動に関わる自由を守ることが重要だ。当協会も含め、各地にそうした自由で多様な活動を支える拠点を作っていかねばならないと改めて思う。

【Volo(ウォロ)2020年2・3月号:掲載】

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