ボラ協のオピニオン―V時評―

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「感染者参加OK」の活動でWITHコロナを乗り切ろう

編集委員早瀬 昇

 コロナ禍のなか、さまざまな形での「自粛」が要請されている。現場の調整なしに発せられた突然の学校休校要請に始まり、緊急事態宣言時には人々が集う多くの施設で休業が求められ、最近も多人数での宴会などはもとより、豪雨被災地に他県ボランティアが出向くことも「自粛」が求められている。
 この「自粛」とは「自分から進んで、行いや態度を慎むこと」(大辞泉)。英語ではvoluntary restraintである。あくまでも自主的に判断した上でとる振る舞いだ。
 ところが、この自主的であるはずの行動を、政府や自治体が積極的に〝要請〟している。ただし義務ではない建前だから、休業などに伴う保障はせず、わずかな協力金や支援金でお茶を濁すだけ。事業者や個人が〝自主的に〟赤字を負担し、あるいは行動を抑制することになる。

 さらに「自粛警察」と呼ばれる人々が、嫌がらせなどで強引な「自粛」強要を行う事例も頻発した。実はこの「自粛警察」の活動も、一種の市民活動ではある。しかし、対話の努力をせず一方的に、かつ多くは匿名で自らの正義を押し付ける。これでは、今年2・3月号の本欄で解説した『ボランティアとファシズム』(注1)を想起させる、きわめて偏狭な活動だと言わざるを得ない。
 もっとも、このような事態が起こる背景には、新型コロナウイルスの不気味な特性がある。感染しているのに、まったく症状が出ない人も多く、しかも感染力はある。しかし、息苦しさや倦怠感、高熱などの明確な感染症状が出るか、「濃厚接触」状態にあった人が感染者と判明しない限り、PCR検査をしないのが政府の方針。そこで多くの無症状感染者が、感染者としての自覚のないまま感染を広げる事態となっている。その上、PCR検査を受けても一定の割合で偽陰性者が出るから、安心できない。
 無症状の感染者が、すぐ近くにいるかもしれない。この不安から「自粛警察」に走る人々も出てしまう。

 この状況下で私たちが主体的に対応するには、どうすれば良いだろうか。無症状だけれど自分は感染者かもしれないと考え、周囲への感染拡大を抑えるよう振る舞うことは大前提だ。人前でのマスク着用やフィジカルディスタンス(注2)をとることは基本となる。
 こうした基本所作に加えて、自身も感染者かもしれないと考えつつ、その上で、できることに果敢に挑戦することが大切だろう。ストレスが免疫力低下をもたらすことはよく知られているが、逆にさまざまな活動に挑戦し、自らが役に立てていることを実感すれば、自己肯定感が高まり、免疫力の向上にもつながる。
 実際、すでに多くの〝感染者もできる〟活動が生み出されている。それぞれの自宅でのマスクやフェースガードづくりは多くの地域で実践されている。「密」を避けにくい子ども食堂が無料の食材提供を行うフードパントリーを展開している。厳しい状況下にある子どものための学習塾がオンラインでの学習支援を進めている。豊中市社協はユーチューブを利用した健康体操や折り紙講座などを開講し、大阪大学の学生サークルと吹田市社協が連携して高齢者への手紙を介した交流が行われた。コミュニティサービス神戸の調整で地域の居場所が電話での10分ふれあいコール活動に取り組み、日本クリニクラウン協会がオンライン訪問で長期入院児の気持ちを癒やしている。この他、各種の調査活動やSNSでの情報提供や情報共有、募金の呼びかけや政策提言……。実に多くの活動が進められている。
 自分たちで考え、工夫し、突破口を見出し、そのノウハウを広く共有し合う。口角泡を飛ばし合う対面の話し合いなどは、しばらく「自粛」しつつも、できることはたくさんあるのだ。

(注1)サブタイトルは「自発性と社会貢献の近現代史」。池田浩士著、人文書院、2019年刊。
(注2)ソーシャルディスタンスは特定集団排除の意味があり、ソーシャルディスタンスシングなら感染予防戦略の意味になるが、人と人とのつながりは保ち続けるべきということで、WHOも推奨している表現。本来の用語はフィジカルディスタンシング。

【Volo(ウォロ)2020年8・9月号:掲載】

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