ボラ協のオピニオン―V時評―

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市民の自由を守る確かな意志示そう

編集委員増田 宏幸

 高支持率でスタートした菅義偉(よしひで)新政権だが、日本学術会議の会員任命で6人を推薦名簿から外し、しかも頑としてその理由を説明しないことに批判と疑念が強まっている(10月中旬現在)。市民活動に関わる者として感じるのは「ひとごとではない」という懸念と不安であり、そこにはうっすらと恐怖感さえ伴う。
 菅氏は自民党総裁選中、政権が決めた政策の方向性に反対する省庁幹部は「異動してもらう」とも明言した。人事権を盾に、安倍政権以上に露骨な官僚統制を宣言したことになる。この状況を官僚機構や自治体からみれば、一層「忖度(そんたく)せよ」と言われているに等しい。理由が判然としなければ、推測するしかない。その推測は不必要なまでに拡大されるだろう。現状でさえ行政管理施設での「護憲集会」といった催しが不許可になるケースがある。安倍・菅政権を経て「市民的自由はこうして死んでいくのか」と暗然とせざるを得ない。

 統制色を強める一方、それによって菅氏が何を目指しているのかは見えてこない。総裁選中から携帯電話料金値下げなどミクロの政策はあっても、大きな理念=経綸(けいりん)は語っていない印象だ。そこで改めて、そもそも菅氏が総裁候補として急浮上した過程を振り返りたい。筆者が感じる「怖さ」の中には、菅氏を支持した派閥・国会議員たちの定見や自省に欠ける振る舞いも含まれている。
 菅氏は官房長官としておなじみだったとはいえ、出馬表明もなく、胸に蔵す政権構想も全く明らかでなかった段階で、二階・麻生・竹下・石原各派と、安倍氏が所属する細田派は大挙して「安倍継承」を既成事実化した。党総裁選とはいえ、実質的には総理大臣を選ぶ選挙だ。国会議員は国民の代表であり、「首相を選ぶ」ことについて彼らはしっかり考え、役割を果たしたと言えるだろうか。見過ごせない1点目がここにある。
 次に、菅氏本人の意向はともかく、麻生・細田・竹下3派が開いた支持表明の記者会見がある。筆者にとって、この記者会見は驚くべき光景だった。会見の背景にはいろいろな見方があるが、少なくともあらわになったのは、かつては「裏」または「暗闘」だった派閥の利益や既得権が、「国民には分かるまい」とばかりに丸出しになったことだ。筆者には「とことんなめとるな」という感想しか浮かばない。腹も立つが、むしろその無頓着さが恐ろしい。

 安倍政権の負の側面は、集団的自衛権行使を閣議だけで容認してしまったことをはじめ、熟議を軽視した国会運営、公文書の恣意(しい)的な扱いなど多数ある。その点への自省・反省が見られない新政権では、むしろ政策決定の不透明さ、説明の回避(拒否)、明示されない忖度の勧奨がさらに強まるかもしれない。
 NPO法第2条には法人の要件として「政治上の主義を推進し、支持し、又(また)はこれに反対することを主たる目的とするものでないこと」といった政治関連の項目がある。
 普通に読めば、あるNPO法人が政府の施策に反対したとしても、政治上の主義の推進や反対を「主たる目的」にしていなければ問題はないだろう。しかし学術会議の事例を見ると、そうとも言い切れない。6人の除外の経過や理由は不明で、「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を確保する観点から判断した」というのみだ。先のNPO法人が「欠格」として認証を取り消されても、「総合的、俯瞰的」というだけでは検証のしようもない。まして異議に耳を傾けない政権であれば、市民の側はどう対抗すれば良いのだろうか。
 与党は高支持率を背景に、年内にも解散・総選挙に打って出るとの観測がある。忖度の広がりで市民の自由が窒息死しないために、健全な社会を失って後悔しないために、一票の使い方を含め確固たる意志を示したい。

【Volo(ウォロ)2020年10・11月号:掲載】

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