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「田吾作」と「忠臣」と政治の劣化

編集委員神野 武美

 菅内閣が2020年9月16日に誕生した。驚いたのは、閣僚のうち東京都や神奈川県選出の議員が7人と3分の1を占めたことである。そのうち菅首相ら4人が、筆者が生まれた神奈川県である。高度成長期の1970年代は、自民党は農村に強く、都市部は、社会党など「革新」が強く、主要都市の横浜、川崎、藤沢、鎌倉は革新自治体であった。保守系議員も、日中国交回復に尽力した藤山愛一郎、新自由クラブを立ち上げ自民党総裁にもなった河野洋平、自民に復党せず進歩党を結成した田川誠一、議長として参院改革に取り組んだ河野謙三と、気骨ある政治家を輩出していた。「安倍一強体制」に従順だった閣僚4人とはかなり印象が違う人たちだ。

 70年代に活躍した政治学者、松下圭一(法政大学名誉教授、1929~2015)は、地方分権や「シビル・ミニマム」(都市の生活基盤整備の政策公準)を唱えた。彼は、工業の拡大は勤労者に「余暇と教養」をもたらし、「市民的自発性の大量成熟」を育てて、「民主主義を内発的に組織できる文化水準に」到達すると展望した。日本人の政治的人間型の、権力に従順で無知な「田吾作」(庶民)と出世志向の強い「忠臣」(官僚や企業戦士)たちが、「余暇と教養」を得て「市民」に生まれ変わると考えた(『都市政策を考える』1971年)。背景に、大都市への集中に伴う環境の悪化(日照権など)や公害問題に立ち上がった住民運動や市民運動の隆盛があった。
 万年与党・野党の「55年体制」では、70年の「公害国会」のように野党や市民運動が高度成長のひずみや公害問題を追及し、与党がそれを受け止め、公害対策の強化など政策を転換することもあった。

 しかし、松下が展望した民主主義は、2000年前後の地方分権改革や情報公開法施行まではある程度進化したが、安倍政権下では「政治の劣化」が目立った。ジャーナリスト江川紹子は、そうした状況を「社会から『熟考』がなくなった」と指摘する。安倍政治の反対派も含めて、社会自体が「敵か味方か」「善か悪か」の二項対立の思考に陥り、「カルト化」したというのである(毎日新聞2020年9月24日付「安倍政権が残したもの」)。
 筆者が考える原因は何か。経済のグローバル化で日本の優位性が失われ、生活を支えてきた農業協同組合、労働組合、地域社会などの「共同体」が衰退した。その影響で、個人が「自己責任」を求められ、「競争至上主義」や「拝金主義」がはびこり、企業幹部の不正や悪質な搾取が横行するなど社会全体のモラルが低下した。さらに、欲望を刺激する広告や宣伝の影響力が情報化によって強まり過剰な消費文化が社会を支配した。そんな人々の心理に「わかりやすい」偏狭な宗教やイデオロギー、差別意識が入り込む――である。

 「民主的な変革を志す人たち」が、社会の実働部隊である「田吾作」や「忠臣」と対話して来なかったことも一因だろう。ムラの伝統には「道普請」などの共同作業があり、地方の零細建設業者の多くはその延長上に位置する。〝土建国家〟の一翼であっても、彼らは災害を防ぎ、雇用を生み出す役割を担ってきた。企業人や官僚も、「忖度」「ヒラメ」人間ばかりではなく、公正な社会への貢献を使命と考える者も少なくない。
 松下は、市民の自発性に基づく「政策型思考」に期待したが、それは江川が言う「本当は複雑で熟考を要する事柄」にほかならない。社会の矛盾の中で暮らす人々に寄り添い、その多面性を理解し、彼らの思いや知恵を引き出すことができる。そうすることでようやく「政策」を育むことができるのではなかろうか。(敬称略)

【Volo(ウォロ)2020年12月号・2021年1月号:掲載】

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