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―マレーシア発― 国境というハードル

編集委員磯辺 康子

 「移動の自由」について考えさせられた1年だった。国境というもののハードルの高さをこれほど感じたのは初めてだった。
 マレーシアのクアラルンプールに住んで約2年。昨年は新型コロナウイルス感染症の拡大で生活が一変した。2020年3月、マレーシア政府は罰則付きの活動制限令(いわゆるロックダウン)を施行した。生活必需品の買い出しは許されたが、散歩さえ禁止される厳しい移動制限だった。ジョギングや野鳥観察で拘束された日本人もいた。その後、5~6月ごろから制限が緩和され、少しずつ日常生活が戻っていくかに見えた。  しかし、見通しは甘かった。年が明けた21年1月、マレーシアでも感染者が急増し、ほぼ全土で厳しい活動制限令が復活した。前年のロックダウンに比べ経済活動の規制は緩やかだが、外出に関する厳しいルールがあり、州をまたぐ移動は禁止された。
 昨年3月以降、感染状況によって変化はあるが、何らかの移動制限が続いている。中でもマレーシア政府が一貫して維持しているのが、事実上の国境閉鎖だ。

 今年1月、「日本のパスポートは世界最強」いうニュースがあった。イギリスの調査会社の発表で、日本はビザ(査証)を持たずに渡航できる国・地域数が191と最も多く、4年連続の首位となった。
 こういうパスポートを持つ日本人にとって、国境というハードルは比較的低い。〝コロナ前〟は気軽に海外旅行に出かけ、企業やNGOの活動でも海外との往来を頻繁に繰り返すことができた。
 しかし、それは「いつでも国境を越えられる」という前提があっての日常だ。その前提が崩れると、仕事や生活、さらには精神面での負担がどっと押し寄せてくる。
 私の場合、自国である日本に帰ることは難しくない。ただ、この原稿を書いている時点では、入国時にコロナの陰性証明書が必要で、2週間の自主隔離をしなければならない。入国後は公共交通機関を使えない規制のため、すぐに自宅に戻ることは困難で、自主隔離の場所を確保する必要もある。
 最大の問題は、一度マレーシアを出国すると、戻ることが難しい点だ。この国で働ける長期ビザを持っていても、再入国にはさまざまな手続きが必要で、制度は頻繁に変わる。入国後は強制隔離期間もある。昨年3月から、多くの外国人が休暇中も一時帰国せず、マレーシアにとどまり続けている。

 この1年、各国で活動していたボランティアやNGO職員の中には、日本に戻らざるを得なかった人も多い。医療体制が脆弱な国では、とどまることが命にかかわる。企業人や留学生もそうだ。多くの人が外国人という立場の不安定さと、享受してきた移動の自由の重みを実感したのではないか。
 私自身、政治的な背景や経済的事情で自国に戻れない人の負担がどれほど深刻か、よく考えるようになった。オンラインでの連絡が容易になり、いざとなれば自国への航空券が比較的簡単に買える日本人でさえ、「自由に帰れない」というプレッシャーが積み重なると、体調を崩す人が少なくない。日本国内でも移動自粛という事態が多かれ少なかれ精神的負担になっているはずだ。
 外国人に対し、「嫌なら自分の国へ帰ればいい」と言う人がいる。しかし、日々の仕事があり、生活の基盤を築いた場所から移動するのは簡単ではない。国へ帰ることは、生活の糧を失うことに直結する。自国の情勢が不安定な場合は、なおさら帰れない。
 この1年を肯定的に捉えれば、感染症と関係なく移動の自由を奪われてきた人々の困難に目を向ける機会だった。自由に行き交い、人と触れ合う貴重さも身に染みた。日本で暮らす外国人が抱く不安を、頭でなく心で理解する時間を与えられたと感じている。

【Volo(ウォロ)2021年2・3月号:掲載】

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