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「相模原事件」発生から満5年、改めて優生思想について考える

編集委員牧口 明

 来る7月26日は、日本中の障害者運動、障害福祉関係者等に大きな衝撃を与えた「相模原障害者施設殺傷事件」発生から満5年を迎える日である。この機会に改めて、事件の背後にあるとされた優生思想について考えてみたい。
 もっとも、事件の犯人である植松聖死刑囚の優生思想については、事件後彼に面会取材した新聞記者の文章などを読んでも、その言説に「思想」と呼べるほどの思索のあとを感じることはできなかったことを初めに記しておきたい。
 優生思想については、「遺伝的疾患・形質の発生を予防し、優秀な遺伝子の継承をはかることで社会の進歩を促そうとする思想」といった理解が一般的かと思われるが、この考え方を科学的に基礎づける学問として成立したのが、フランシス・ゴルトンによって定義づけられた優生学である。この優生という言葉は、優性遺伝の「優性」と混同して語られることがよくあるが、全く別の概念である(注)。

 優生思想を根拠づける概念としてよく、「適者生存」とか「弱肉強食」という言葉が用いられ、それらがダーウィン以来の進化論と結びつけて語られるが、それはダーウィンによって基礎づけられ発展してきた現在の進化論に対する誤解によるものである。
 ダーウィン進化論の基本は「自然選択(自然淘汰)によって生物が進化する」という点にあるが、この「進化」という用語は「進歩」を意味するものではなく、単に「世代を超えて伝わる変化」ということである。
 ダーウィンは、それまでキリスト教の創造論によって否定されてきた「生物が変化(進化)する」ということを客観的事実に基づいて論証し、進化は生物が「環境の変化に適応することによって」起こり、その適応は「自然選択による」ことを明らかにしたとされる。

 ここで大切なのは、「環境の変化に対する適応」は多くの人が考えているような生物の優劣や強さ弱さによって起こるのではないということである。よく言われる適者生存の適者も、何が適性とされるかは環境の変化が起こってからでないと分からないので、「強い者」「賢い者」など、通常プラス価値とされている形質を持っている者が必ずしも適者となるわけではないということなのだ。
 古生物学者のラウプは、「生物種は多くの場合、運がわるくて絶滅する」と述べているが、このことは、進化の過程で?強い〟恐竜が滅び?弱い〟小動物や細菌が生き残ったことを考えれば理解できるはずだ。
 今日の進化生物学では、優生思想の根幹をなす優秀な遺伝子というものはなく、「ある特定の環境において有効であるかもしれない遺伝子がある(だけ)」とされる。
 最近のゲノム科学や分子生物学の理論研究によって、もし環境の変化に対応できる生物の性質があるとすれば、それは、「多様で、かつ現在の環境下では生存率の向上にあまり貢献していない?今は役に立たない〟遺伝的変異を多くもつこと」だとも言われる。
 詰まるところ、「適者生存」という言葉を生み出したラマルクの進化論に影響されてスペンサーが唱えた社会ダーウィニズムの「弱肉強食」や「優勝劣敗」などの考え方は、今日の進化生物学では完全に否定されていると言ってよい。
 仮に優生思想家たちが夢想する「優秀な遺伝子を受け継いだ者たちだけで構成されるハイレベルな社会」が実現したとして、その社会でもやはり、「よりできの良い」人間とその対極に位置する人間が生まれるに違いない。そして、そこで「劣った者」と判断されたものは排除されるであろう。  そのように考えると、優生思想は結局、どこまでいっても構成員の一定数を「生きていてはいけない者」として抹殺し続ける思想だと言えるのではないだろうか。そのような思想に立脚した社会は多くの人を幸せにすることができるのだろうか。私は、たいへん疑問に思う。

 (注)日本遺伝学会は2017年より、優性を「顕性」、劣性を「潜性」という表現に変更することを決定した。

 本稿執筆に当たっては、精神科医で西九州大学教授の黒田研二先生と、障害福祉が専門で優生思想に詳しい日本福祉大学准教授の藤井渉先生に貴重なご助言をいただきました。記して感謝申し上げます。

【Volo(ウォロ)2021年6・7月号:掲載】

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