おかしいものはおかしいと言える社会を目指して
Twitter、Facebook、YouTubeなどのSNSを使って、個人の意見や主張を発信しやすくなった。自らは発信しなくても、同意や反論のリアクションやコメントは容易にできるし、シェアをして元の意見の拡散協力もしやすい。自分の考えに近い意見を探したり、自分の考えをまとめるのに参考にしたり、といった使い方もできる。ときに意見や主張の相違から「炎上」することがあるが、すみやかに適切に対処できるならば、怖がりすぎることはない。
大阪ボランティア協会(以下、協会)は、「協会が創造を目指したい市民社会」の一つとして、「世の中の動きで、おかしいものはおかしいと言える社会になること」を明記している(2009年7月発行「第4次将来ビジョン」)。おかしいと言えるという点において、SNSの活用は、協会が目指す市民社会づくりに貢献しているといえるのかもしれない。
SNSで注視すべき点は、対話が起こりにくいことだ。「向かい合って話し合うこと。また、その話。」(『デジタル大辞泉』)が対話の意味だが、「広義には2人以上の人物間の思考の交流をいい(後略)」(『ブリタニカ国際大百科事典小項目事典』)という説明もある。後者の説明を借りると、SNSは"思考の発信"はしやすいが、"思考の交流"には向いていないといえるだろう。対話による思考の交流は、個人の思考を広げ、豊かにする。対話を通じて複数の意見を折り合わせ、合意形成につなげることもできる。個々の対話を組織の意見や主張に発展させれば、「おかしいものはおかしいと言える社会」に近づけるだろう。
そのために、何ができるだろうか。協会は対話の機会を積極的、かつ定期的につくることを始めてみた。
きっかけは、昨年度に組織的なメッセージを二つ発表した経験が大きい。一つは、「新型コロナウイルスの影響下での市民活動に関するメッセージ」(2020年4月8日)で、もう一つは、「森会長、二階幹事長の発言に抗議します」という抗議声明(2021年2月10日)だ。いずれも、常任運営委員(理事会から委嘱を受けた、組織運営を担う委員)の「これでいいのか?」という一声が始まりだった。そこからボランティアと事務局が対話し意見や知恵を出し合って、組織の見解といえる文章にまとめ、ホームページに公表するとともにSNSで拡散した。自治体の記者クラブへも情報提供した。時宜にかなった発信だったこともあり、さまざまな媒体でシェアされるなど共感が広がり、またメール等による反響も大きかった。
この経験を生かして今年6月度から、常任運営委員会で「いま協会が発信すべきオピニオンとは」という対話の時間を設けることとした。委員が気になっていることを毎月持ち寄り、組織的な意見表明の必要性について協議している。
「おかしいものはおかしいと言える社会」を市民社会の一つの姿とするならば、対話が起きる場や機会を設けることが必要だと実感する。対話は自然発生的には生まれにくい。ゆえに対話が生まれるように働きかけ、経験や思考の訓練を積む機会が必要だ。
対話の前提として、まず自分の意見を持つこと、特におかしいと思ったことは言葉にすること、安心して発言・発信できる場を担保することがあるだろう。対話にのぞむ姿勢も大切だ。それぞれの意見や主張の趣旨、意図を理解しようとする姿勢、違いは違いとして受け止める姿勢、違いのなかにも理解できるところや歩み寄れそうなところを探す姿勢なども求められるだろう。協会が理想とする市民社会づくりのためにも、組織内外で対話の機会や場をつくり、「対話」を働きかけることを使命としたい。
【Volo(ウォロ)2021年8・9月号:掲載】
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