選挙の自由を用いているか
2021年秋に総選挙があった。ウォロの読者は、みなさん投票に行かれたことだろう。しかし、投票率55・93%は、戦後3番目に低い投票率であった。これほど多くの市民が棄権したことをお嘆きだろう。
ところで、投票した読者にあえて聞きたい。私たちは、この選挙の機会を十分に利用したのだろうか、と。
例えば……。
読者が関係している市民団体は、この選挙において、現在の行政施策を検討し、その維持や変更について見解をまとめただろうか。候補者に、その見解を伝え、態度を問うただろうか。
あなたの関与している団体が望む政策は、多くの場合団体が支援している人々の望みを実現する政策だろう。そういう人々の望みを実現するという団体のミッションに誠実に向かい合って、候補者や政党が最も有権者の声を聴く選挙という機会を使うことができただろうか。
もともと、団体のミッション実現のための中長期的計画には、社会的理解をもとにした行政政策の変容は入っているだろうか。
現代の選挙は、政党選挙が基本で、候補者個人の意見はそれほど重要でない、と思われるかもしれない。しかし自民党は、候補者個人の見解のバラツキがとても大きく多様なことは周知のところである。確かに共産党や公明党のような組織政党であれば、政党の見解は大変重要だ。そうであれば、政党の政策がどうだったか確かめただろうか。
政党の見解は非常に重要だ。であれば、いっそう政党に直接、あるいは候補者を通じて間接的に、その見解を問うことは、大切だ。あなたの団体の関心を知らせ、候補者にも政党にも問題を理解してもらうよい機会になる(念のために言っておけば、このような活動はすべて、特定非営利活動促進法上、特定非営利活動法人はもちろん、認定特定非営利活動法人でも合法的に行うことができる。一般法人や公益法人でも同様だ)。
そんなことをしたって、どっちみち変わらないし、コストパフォーマンスが低いのじゃないか、私たちは、日々の活動で忙しくて、それどころじゃない、と思われる方も多かろう。
もっともだと思う。忙しいし、そんなことをしている暇はない……。
しかし、ご存じのように、自殺対策基本法、生活困窮者自立支援法、そして特定非営利活動促進法も、市民団体の活動なくしてはできなかった法律だ。そして、これらの法律ができることによって、政策が大きく進んだこと、現場が大きく変わったことは明らかだ。
自分たちだけではそんな政策はできない、というのは現実だろう。だからこそ、横につながって、政策を検討し実現するための機会がどうしても必要だ。あるいは、身近な市会議員や町村会議員と、市町村での政策化の可能性がないか、何が問題なのかを話し合ってもいい。できることは、いろいろある。
ジャン・ジャック・ルソー(1712~78)が『社会契約論』の中で、次のように述べたことは、有名だ。
「イギリス人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる。」(第3篇15章)
しかし、この文章に続く次の文はあまり知られていない。
「自由であるこの短い期間に、彼らが自由をどう用いているかを見れば、自由を失うのも当然と思われる。」(注)
ここで「自由であるこの短い期間」とは、選挙のときである。選挙のときに「自由をどう用いているか」に、今一度目を向けてもいいのではないか。私たちが「自由を失う」のが当然とならないためにも。
(注)作田啓一・原好男訳『社会契約論 人間不平等起源論』白水社、1991年(原著は1762年)、114ページ。
【Volo(ウォロ)2021年12月・2022年1月号:掲載】
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