ボランティアの価値は無限の創造性
10月某日、関東地方のある社会福祉協議会のスタッフから相談を受けた。コロナワクチンの接種会場で、受付誘導や消毒係として社協に登録されているボランティアに協力してもらえないかと、行政担当者から要請があったという。
これに対して、「ボランティアはタダで頼める便利な労働力ではない」と行政担当者に説明した上で、コロナ禍でのワクチン接種という緊急事態であり、行政職員が一丸となって対応しつつ、安全にワクチン接種を実施するために必要なのであればと考え、ボランティアの協力を募集。使命感を抱いた人たちの応募があり、皆さん、前向きに協力している。ただし、ボランティアが都合の良い行政補完の存在になっていないかと葛藤している。どう考えたら良いだろうか――という相談だった。
ワクチン接種に限らず、こんな事態が、時々、起こる。事態がひっ迫し、普段の行政機能などでは対処が難しい場合に、その状況を打開する存在としてボランティアの協力が求められる。
依頼者が安直に「暇を持て余していそうなボランティアに……」などという態度ならば、もちろん断固拒否すれば良い。しかし、依頼者も相当の努力をしている中での依頼なら、必要性も分かるし、共感もする。ただし、これが常態化すると、行政責任の補完や穴埋め役としてボランティアが〝活用〟される先例となってしまうことも懸念される。
さて、どう対応すれば良いのだろうか……。
実際、ボランティアの〝活用〟という文言は、政府文書などにもたびたび登場してきた。
インターネットを検索してみても「特別支援教育関係 ボランティア活用事例集」(文部科学省)、「ボランティアを活用した共助社会の構築に向けた研究会」(経済産業省)などがヒットする。
活用には、使用や利用よりは創造的なニュアンスを感じるが、問題は〝用いる〟という他動詞を使うことだ。
このような語法を見るにつけ、ボランティアを操作可能で安価な資源とみなし、自分たちや社会の課題解決にあたらせようという姿勢があるのではないかと疑いたくなる。悪意に取りすぎかもしれないが、ボランティアの主体性を尊重し、自主的・自律的な活動を保障することでこそ生まれる創造性に気づいていない可能性は高い。
だから、ボランティアの応援依頼者には、こんな発想が生まれないように働きかけねばならない。
このように考え、私はこの相談に対して次のように回答した。
今の状況下ではボランティアが活動の社会的意味を理解し、納得して活動できるのであれば、ワクチン接種のサポートに携わるボランティアを募り活動先に紹介しても良いと思う。
ただし、そこでボランティアが都合の良い安価な労働力化してしまわないためには、この活動にあたってボランティアが、当日までの広報を含む準備段階や当日の進め方などに関して、企画に参加し、あるいは改善・修正点を提案し、より良い形に工夫できる立場になれるようにサポートすることが大切だと思う。
こうしてボランティアの創造性を生かせる形態にすれば、都合の良い補完役の立場を超えることができるし、ボランティアの潜在力も発揮されやすくなる。
日本ボランティアコーディネーター協会は「ボランティアコーディネーター基本指針」の「どのようにボランティアをとらえるか」の中で、こう規定する。「ボランティアは安価な労働力ではなく、無限の創造力である」 企画段階から参画でき、ボランティアの創意工夫が生かせる環境づくりが鍵なのだと思う。
【Volo(ウォロ)2021年12月・2022年1月号:掲載】
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