ボラ協のオピニオン―V時評―

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ウクライナ危機に見るハラスメントの同心円

編集委員増田 宏幸

 NHKで放映中のシリーズ番組「映像の世紀 バタフライエフェクト」の一つに、「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」があった。メルケルをはじめ旧東ドイツ出身の女性3人を通して、ベルリンの壁崩壊から東西ドイツ統一、メルケル首相誕生へと連なる歴史と、個々の運命の転変を重層的に描き出した内容だ。見応えがあったが、筆者の印象に最も残ったのは、実は本筋とさほど関係のないエピソードだった。
 それは、ロシアを訪問したメルケルがプーチンと会談する場面。会場に大きな犬が入れられて歩き回り、メルケルの脚にもすり寄る。メルケルは微笑を浮かべ、プーチンも頬を緩めている。ここで「メルケルは犬が苦手だった」というナレーションが入り、プーチンの笑みの印象が一変する。後にメルケルは「人の弱みを利用するKGB(旧ソ連のスパイ組織・国家保安委員会)のやり方」だと語ったという。確かに諜報機関出身者らしい情報の使い方ではあるが、筆者の頭に真っ先に浮かんだのは計算づくの冷徹さ・非情さというより、「ハラスメント」という言葉だった。
 
 本誌2・3月号の特集テーマは「市民団体の不祥事防止と対策を考える」で、ハラスメントも主な内容の一つ。プーチンと犬の映像からハラスメントを感じ取ったのは、この特集に加え、この号をテキストにした関連セミナーを開催(4月25日)したせいかもしれない。特集に対するNPO関係者の関心は高かったようで、定期購読をしていない人や団体からも、この号の単品注文が相次いだ。セミナーにも多くの参加があり、申し込み理由も「所属団体で過去にハラスメントなど不祥事があった。その対応が正しかったか今も自問自答している」「不祥事が他人事とは思えず危機感がある」「内部の長く付き合ってきた人への対応が、甘くなりがちな難しさを感じている」――など非常に具体的で、NPOにとってハラスメントや不正経理といった不祥事が「すぐそこにある危機」だと改めて実感させられた。
 筆者の企業勤務経験から言っても、組織(人の集団)には常にハラスメントの危険性がつきまとう。明確な悪意や故意がなくても、「熱心さのあまり……」「同意があった……」等の言い訳に象徴される思い込みや、自我(自己愛など)の問題が動機となる。さらに、自分と他人は違うのだという想像力や、他者への敬意を欠いているのも共通点だろう。これらは国家の指導者も、小集団の構成員も変わらない。
 
 ロシアのウクライナ侵略開始から約3カ月(本稿執筆時点)が過ぎた。当事者双方の人命は言うまでもなく、経済的にさえあまりに不合理な選択を、なぜプーチンはしたのだろう。ウクライナのNATO(北大西洋条約機構)への接近や、プーチンの誤った歴史認識などさまざまな指摘はある。それらは複合して当たっているのだろうが、プーチンがロシアとウクライナを不可分の領域・存在として一体視し、かつ自分自身と国家をも一心同体と捉えていることは間違いないように思う。彼にとって領域や政治・社会体制への脅威は、ストレートに自分自身への脅威でもあるということだ。ハラスメントの加害者にとって、自己(自我)防衛も動機になる。とっぴと思われるかもしれないが、筆者にはウクライナ危機も、個々のハラスメントも、同心円の事象に見える。
 プーチンだけでなく、独裁国家の指導者が手段を選ばず体制を維持しようとする理由は、唯一「自分のため」である。他者への想像力と敬意を決定的に欠いたまなざしと振る舞いは、周囲にとって迷惑この上ない。「♯MeToo」と同様、「ウクライナは私」だ。そして「プーチンも私」という自覚が必要だ。人間の基本的権利を侵す行為に、大きい小さいといった区別や、国家と個人の違いはない。(文中、敬称略)

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