ボラ協のオピニオン―V時評―

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「戦争体験」から考える平和への王道

編集委員神野 武美

  太平洋戦争終結から今年で77年。平均寿命が伸びたとは言え、戦争体験を語れる人がいるのもあとわずかかもしれない。きらくえん名誉理事長の市川禮子さんから『いのちの足音―「きらくえん」の人々が語る戦中体験』(きらくえん発行)という本を贈られた。兵庫県内で5カ所の特別養護老人ホームを運営する従業員約800人のこの社会福祉法人を運営してきた市川さんは、2018年から4年かけて、研究者3人の協力を得て大正9(1920)年から昭和12(1937)年生まれの入居者47人の戦争体験を聴き取った。
 
 その目的の一つは「高齢者の生きた時代や体験を理解せずに一人ひとりを大切にする個別ケアはできない」と、戦争を知らない介護職員たちに伝えることである。もう一つは「戦争の危機が迫る状況」を訴えること。市川さんの手紙には「きらくえんの理念『ノーマライゼーション』は第二次世界大戦でナチスドイツに抗したデンマークのバンク・ミケルセンの強制収容所での体験から生まれています。すべての人が人間として普通に生活できる社会、言い換えれば平和な社会を、と願う理念です」とあった。
 戦場のウクライナやロシアの兵士たちは、平和な時には、どのように暮らしていたのだろうか。体験記には、生い立ちから平穏だった戦争前の生活や戦後の暮らしとともに、戦時下は、軍隊や銃後の生活を、残酷、悲惨、理不尽、欠乏が支配したことが語られている。
 とりわけ戦場に送られた男性たちの体験は苛酷であった。「シベリアに抑留され、食糧が乏しく仲間が次々と死んでいった」「敵に遭った時、この人は可哀想だけど殺さなしゃあない。それでも悪いことをしたという気持ちはあった」。中には「中国東北部で終戦を迎え、八路軍(注1)に加わり、国共内戦(注2)でゲリラ戦に加わった」という人も。ソ連軍の捕虜となりシベリア行きの列車から仲間と一緒に飛び降り、逃避行中に馬を盗もうとしたら八路軍に捕まった。帰国の見込みがない中、共産軍に加わることが生き延びるための選択だった。日本人兵士が、日本との密通者として人民裁判にかけられた老人の処刑に加わったこともあったという。
 内地でも、「海軍では船も銃も無く、縄を結ぶ訓練をしていた。1人失敗すると全員が体罰を受けた」「穴掘りを命じられたがスコップも武器も無い。一番恐れたのは上等兵、軍曹から殴られること」と、いじめ、パワハラが横行した。女性たちも「通学途中で電車に乗っていて空襲に遭い、逃げる途中、カバンに機銃掃射の弾が当たった」「焼夷弾が屋根にグサッと刺さった。父と2人で屋根に登って引き抜いて投げ捨てたが、周りが火の海になり自宅も丸焼けになった」「女子挺身隊で勤労奉仕中に機械で大けがをした」「学童疎開中に自宅が焼夷弾で焼かれた」など、死と隣り合わせの生活だった。

 

 戦後、「平和国家建設」を掲げた日本は戦争をすることはなかったが、世界に目を向けると、「正義」や「国益」を振りかざした他国への軍事介入が繰り返され、国家、民族、宗教、イデオロギーの名において「力には力を」の論理が正当化されてきた。それを振りかざすことで、民衆の生活を破壊したり、生活資源を奪い取ったりすることが「やむを得ない」とされてきたのである。
 「すべての人が人間として普通に生活できる社会を」というノーマライゼーションの思想は、障害者や高齢者だけではなく、すべての人に当てはまる普遍性がある。それに基づけば、軍事力を基にする「力の論理」は人々の生命を脅かす恥ずべき思考である。こうした認識を政府や国際機関の外交活動の規範にするよう世界に求めていくことが、遠回りに見えても、平和構築の王道ではないのか。

 

(注1)1937年に勃発した日中戦争時に華北で活動した中国共産党軍の通称。ゲリラ戦を展開した。
(注2)共に日本と戦った中国国民党軍(国民政府)と共産党軍は日中戦争終結後に内戦(1946~50年)を開始。共産党軍が勝利し、国民党は台湾に逃れた。

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