ボラ協のオピニオン―V時評―

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編集委員磯辺 康子

月に一度、大学生の読書感想文を添削している。大学も学年もばらばらで、日本語が堪能な外国人も含まれる。授業の一環ではなく、学生が住んでいる寮で必須とされている課題だ。
 単位取得に直結するわけではないので、いいかげんな内容もある。時にはネット上の感想を写しているものもあるし、課題図書と関係のない自説がつづられていることもある。それでも、今どきの学生の文章から学ぶことがある。
 添削の際は、「社会に出て通用する文章」を書いてもらうことを目標にしている。幅広い年代の人に通じる言葉を選択し、正確で理解しやすい文章を書くこと。仲間内ではなく、仕事や公式な場で使える文章を意識してもらうようにしている。
 学生の感想文を読んで感じるのは、話し言葉と書き言葉の境があまりなく、日常会話で使うような表現がよく出てくることだ。
 例えば、「刺さる」という言葉をよく見かける。「心に響く」「共感する」という意味で使われていることが多いが、50代の私の感覚では、目上の人に課題として提出する文章で使っていい言葉とは思えない。そのほかにも、「ネタバレ」「すごい」「正直~と思う」「~なんだな」など、会話で使うような言葉をそのまま書いているケースが目立つ。「告白する」という意味で、「自分から行く」と書いている例もあった。
 気の張らないエッセーなら、そういう言葉づかいも許容されるかもしれない。しかし、社会に出れば通用しない場面が多いことを、学生のうちに理解しておいてほしいと思う。
 話し言葉を使うだけならまだよいのだが、知らず知らずのうちに差別的な意味が含まれている場合もある。その代表例が「ふつう」だ。感想文で「ふつうに考えたら」とか「ふつうに~する」という表現を見かける。「ふつうの恋愛」という言葉もあった。そうした表現に出合うたび、「あなたにとっては『ふつう』でも、ほかの人にとって『ふつう』ではないかもしれない」と伝えたり、「ふつうの恋愛とはどんな恋愛か」と質問してみたりする。このようなやり取りを通し、何気ない発信が読み手にとって問題になる場合があるということに気づいてほしいと思う。
 
 言葉は生きものなので、今は定着していなくても、今後、多くの人に書き言葉として受け入れられるようになるものもあるだろう。
学生の感想文によく出てくる「伏線回収」という言葉は、使用の是非はともかく、この数年でかなり頻繁に見るようになった。
 まったく未知の言葉に出合うこともある。「夜の職業」という意味で「夜職」と書いている学生が複数いた。ネットで検索してみると使用している例がいくつもあり、対義語として「昼職」という言葉も登場していた。
 幅広い年代、さまざまな経験の持ち主が集まる市民活動の現場でも、言葉づかいや表現のギャップが生じることは多いのではないだろうか。中高年の人の何気ない一言が、若い世代にはセクハラやパワハラと映る、という話もよく聞く。最近はネットの影響か、新しい言葉が生まれて消えていくサイクルも早くなり、年代による差がさらに広がっているように思う。
 学生たちの感想文は、そうした現状を考えるための示唆を与えてくれる。私たちは、年代や互いの経験、心情に配慮したうえで、相手に伝わる言葉を使って語り、書く努力をしなければならないということだ。独りよがりの言葉をいくら重ねても、言いたいことは伝わらない。
 他者に何かを伝えるのは簡単ではない。そのことを常に頭に置き、「伝わる言葉」を模索し続けていきたい。言葉とは、人が理解し合うためにあるものだと思うから。

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