ボラ協のオピニオン―V時評―

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忖度とフェイクの時代 市民の営みを重心に

編集委員増田 宏幸

 新たな年を迎えるに当たって来し方を顧みると、2022年はことさら「歴史」を意識させられる1年だったように思う。
 まず「周年」は、すぐに思いつくだけでも1972年の沖縄返還、日中国交回復、札幌冬季五輪、あさま山荘事件がある。64年生まれの筆者にとって、これらちょうど50年前の史実は「テレビで見た」最も早い記憶に属する。
 この1年では、ロシアのウクライナ侵略(2月)や安倍晋三元首相銃撃事件(7月)と国葬(9月)、その後の旧統一教会問題、中国・習近平総書記の異例の3期目入り(10月)などが、歴史的背景抜きには語れない事象だ。そしてもう一つ、看過できない出来事が10月に報道された。歴史を無視した、芸術作品に対する事実上の「検閲」である。
 
 東京都港区の人権プラザで美術作家、飯山由貴さんが開いた企画展で、朝鮮人をテーマにした映像作品の上映を都の「人権部」が不許可にした。東京新聞によると、作品は「在日韓国人が抱える葛藤や苦難を表現」したもので、「外村大東京大教授から『日本人が朝鮮人を殺したのは事実』と説明を受ける場面がある」という。
 「朝鮮人を殺した」というのは23年の関東大震災の時に、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマを信じた各地の自警団や官憲が、朝鮮人だけでなく、朝鮮人と誤認した日本人や中国人を多数殺害したことを指す。このことは中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書の一つとして内閣府ホームページにも掲載され、疑いのない事実だ(犠牲者数には諸説ある)。にもかかわらず、なぜ上映を不許可としたのか。
 会場の人権プラザは都人権啓発センターが運営し、企画展は都人権部の承認を得て開かれた。都人権部がセンターに送ったメールでは「朝鮮人犠牲者への追悼式典に、小池百合子都知事が毎年追悼文を送っていないことを挙げ、『都知事がこうした立場をとっているにもかかわらず、朝鮮人虐殺を事実と発言する動画を使用することに懸念がある』と指摘していた」(毎日新聞)というのである。
 この経緯には二重の問題がある。一つは、事実を事実と発言することに「懸念がある」とした点。まるでディストピア小説のような薄ら寒さだ。もう一つは、日本ではもはやおなじみと言っていい忖度。〝忖度が通れば事実が引っ込む〟ことを、日常風景にしてしまっていいのだろうか。森友学園への国有地売却に絡む公文書改ざんは、安倍元首相への忖度が動機に挙げられている。改ざんを指示した元財務省理財局長は刑事事件としては不起訴になり、改ざんを苦に自死した近畿財務局職員の妻による損害賠償請求訴訟は11月、大阪地裁が請求を棄却した。これも、2022年に記憶されるべき歴史的事実だろう。
 
 大阪ボランティア協会は22年3月、増補改訂版「日本ボランティア・NPO・市民活動年表」(明石書店)を出版した。14年発行の初版から内容を大幅に改訂・充実させ、市民が営々と積み上げてきた社会改革の事績を16分野、1000ページ超にわたって記録した大著だ(注)。もちろん関東大震災時の虐殺事件も記載している。
 海外を含めフェイクニュース、オルタナティブファクトといった言葉が日常的に使われ、日本ではYouTubeなどで視聴したデマ情報を信じ、放火事件を起こしたケースもあった。確たる事実がデマの攻撃を受け続けるうち、事実と虚構の境目が次第にぼやけ、何が本当のことなのか見当識を失っていく。今は、そんな危うい稜線上を歩いている時代かもしれない。
 市民活動年表が示す通り、人はさまざまな困難や課題、矛盾と向き合いながら、より良い社会を目指して闘い、努力を重ねてきた。関東大震災から100年となる23年、この揺るぎない事実を改めて自らの重心に置きたい。

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