ボラ協のオピニオン―V時評―

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日常を大切にすること 日常に埋没しないこと―本誌『ウォロ』への思い

編集委員筒井 のり子

 3年前の4月、すなわち新型コロナウイルスのパンデミックに見舞われた2020年4月、私たちは何を思い、どのような生活を送っていたのだろうか。
 20年1月31日にWHO(世界保健機関)が緊急事態を宣言。日本では4月7日に7都府県を対象として1回目の緊急事態宣言が出された(16日には全国に拡大)。3月2日から始まった小中高校及び特別支援学校の一斉休校は、5月末まで延長する動きが広がった。
 マスク姿が当たり前になり、人々が密に集まって話をしたり飲食したりすることは見られなくなった。膨大な感染者数と多数の死者、医療崩壊、飲食店等の倒産、失業者や生活困窮者の増加など、おそらく悲惨な3年間として、歴史に深く刻まれるだろう。
 3年後の今年、WBCで盛り上がり、花見や宴会も復活。訪日外国人も徐々に増え、観光地はどこも大混雑している。入学式や入社式もほぼコロナ以前に戻った。5月8日に新型コロナウイルスの感染法上の位置付けが5類(季節性インフルエンザなどと同じ)に移行したのちは、マスク姿も激減するだろう。もちろん、再び感染が拡大するような事態が起きる可能性もあるが、着実に当たり前の日常が戻りつつある。
 そのような中で、ふと思う。3年前、何に驚き、何に違和感を覚えたり不安や憤りを感じたりしたのか。同時に、何に一生懸命になり、何を工夫し、何に喜びを覚えたのだろう。
 
 小説家の中島京子さんの作品に『小さいおうち』という小説(直木賞受賞)がある。昭和初期から終戦直前までを東京で過ごした女中が、奉公先の家庭の様子や人々の心情を年老いてから回想録としてつづっていく物語であるが、時々、盗み読みしている親戚の大学生に「おばあちゃん、嘘を書いてはいけない」と言われてしまう。というのも、主の昇進祝いのごちそう作りや銀座での買い物のお供、デパートの大売り出しなど華やいだ様子を記したその年は、1937(昭和12)年、すなわち盧溝橋事件があった年。なので、「華やいでいるなんて、嘘だ」というわけである。
 年表にすれば一行かもしれない歴史の出来事の背後に、人々の大切な日々の暮らしがある。市井の人々の戦時下での日常を描いた秀作映画である「この世界の片隅に」「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」にも通じるものがある。
 数十年後には2020年も「コロナ・パンデミックで緊急事態宣言が出された年」と一行で記されることになるかもしれない。しかし、さまざまな制約がある中、私たちはオンラインなどを活用して多様なコミュニケーションにチャレンジし、仕事や教育現場でもいろいろな工夫をしてきた。ボランティア・市民活動においても同様である。一つ一つは小さな出来事かもしれないが、それらをきちんと記録していくことは、本誌『市民活動総合情報誌ウォロ』の重要な役割だと認識している。

 

 さて、『小さいおうち』では、人々が日々の暮らしを淡々と営む中で、いつの間にか社会が変質していくさまも描かれている。
 この3年間、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が起き、すでに1年以上が経過した。世界経済へ深刻な影響を及ぼすとともに、世界で新たな分断が拡大しつつある。岸田首相が電撃的にウクライナを訪問したことは記憶に新しい。23年度の防衛費は6.8兆円、前年比1.3倍となった。ここ数年の状況を「新たな戦前」と表現する人もいる。
 また、安倍元首相の狙撃事件をきっかけに旧統一教会と政界との癒着が明るみに出た。これまでの政策に大きな影響を及ぼしていたことも否定できない。気候変動はさらに深刻さを増し、出生率低下にも歯止めがかからない。
 本誌は、人々の日々の暮らしや活動を大切にするとともに、こうした動きも注視し、ともに考えていくオピニオン誌でありたいと願っている。

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