ボラ協のオピニオン―V時評―

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AIと民主主義

大阪ボランティア協会 ボランタリズム研究所 所長岡本 仁宏

 AIはすごい。
 僕も、何回か対話?した。「すごい答えを出すな!」と感心することも多い。もちろん「全然間違ってるなアホちゃうか!?」と思うこともある。とはいえ、さらに多くのデータを取り込み「学習」が進めば、AIの間違いはますますなくなる。ChatGTPの有料バージョンは、アメリカで司法試験も医師試験も優秀な成績でパスした。現在も急速に賢くなりつつあるし間違いはどんどん減る。
 
 AIと政治家とどちらが賢いだろうか? 「う~~ん、もちろんAIでしょ」と答える人もいるだろう。では、政治家と交代させてはどうだろう? 民主主義じゃない? でも、民主主義って何でしょう?
 私たちの意向が表現されるのが民主主義? 投票をするよりも、AIは、私たちがSNSでつぶやいたりアマゾンや楽天で買い物をしたり、ウェブサーフィンをしたりする内容を分析し、一人一人が何を望んでいるか膨大な情報を収集している。AIは私たちの意向を、「知っている」。
 世界的に著名な歴史家・公的知識人であるユヴァル・ノア・ハラリによると、ネットの背後にあるAIは「自分が知っている以上に自分を知っている存在」である。
 ハラリはホモセクシュアルだが、若い時にはそのことに気付いていなかった。しかし、彼がネットサーフィンした内容を分析したAIであれば、彼自身が気づく前にホモセクシュアルであることを「知っていた」はず、だという。
 おすすめ商品や動画を提供してくれるのと同様に、どんなタイプの人間が好きか、どんな政治家が好きかを、AIは本人以上に「分かって」いるだろう。であれば、政策決定の際に、多数の意見を確認することもできるだろう。
 数年に一度政治家を選ぶ「民主主義」は、現実のスピードについていけない。政治家が、人々の意向を正確に反映しているわけでもない。政治献金が重要だったり、棄権者のことは考えていなかったりするだろう。AIの方が「民主」的、あるいは投票「民主主義」は「オワコン」だ、という政治学者もいる。
 政治は必要悪ともされてきた。「政治なんかに関わらないで好きなことをしたい」、「汚くてめんどくさい政治なんかまっぴら」、「政治は、芸術や学問や経済のように価値を生まない。なくて済めばそれに越したことはない」。私たちはついに「政治から解放」されるのだろうか。

 

 例えば、限られた国家予算を前提にして、希少難病の治療、妊産婦ケア、大学教育の無償化、貧困状態にある子どもの福祉、ミサイル迎撃システムのどれにお金を使うか考えたい。
 この問題には、「科学的」正解がない。比較するには、私たちがどのように生きていくのか、何を大切にして、逆に言えば何を後回しにするのか、という判断が必要だ。言い換えれば価値選択が必須だ。
 AIは、まさにこの価値選択についても働くことができる。つまり、価値選択は、人々の消費選択行動や「いいね」などの反応を含めいろいろな形で表現されている。各人の好みを「科学的」に推定し、個々の価値判断を集計し総和を求めることも可能だ。私たちがあえて直接表現しなくてもAIは好みの政策を選択してくれるだろう。
 だが、それは民主主義とかよい政治とか言えるだろうか。さらに言えば政治から解放される素晴らしい機会だろうか。

 

 僕はそうは思わない。
 私たちは人生の選択問題に直面したとき、その意味を理解し、決断し責任を取る。正しいか間違っているか分からない。しかし、自ら一定の価値を選択した、という意識は残る。
 もし、AIが政治的決定を行うようになれば、私たちは、政治的選択の責任を失う。それは、僕には人格の尊厳を失うこと、人間としての義務を失うことのように思える。温かい守り手によって選択の責務が取り除かれたら、私たちは本当に生きていることになるだろうか。AIについて考えることは、私たち自身について考えることのように思う。

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