ウォロ550号発行に寄せて 時を超えて色あせぬ「市民の論理」
『ウォロ』へ改題した2003年から23年の20年間に掲載した「V時評」は全218稿ある。ウォロ550号発行に寄せてこのV時評を読み直したところ、想像以上におもしろく、やる気すらみなぎってきた。20年近く前のV時評とて、色あせぬ鋭い論説で心に届く。きっと、多くの読者の〝いま〟の関心や問題意識にも届くことであろう。そして、市民社会へ向かう未来をあきらめない、そんな勇気を与えてくれるはずだ。
改めてV時評とは何か。V時評は、時代の一歩先を読み、新しい課題の発見や提言に努めるオピニオンだ。20年間で64稿を寄せた現理事長・早瀬昇は、V時評への想 いを次のように解く。「私たちは、〝参加の力〟が生かされ、自由で創造的な市民活動を進めるための、『市民の論理』を追究してきました。市民がのびのびとしなやかに活動を広げるには、権力や暴力に対抗する論理の力を鍛えねばなりません。さまざまな社会の動きを踏まえつつ、『高みの見物』的評論ではなく、現場で奮闘する皆さんの力になれる論理を示すべく、努力しています。」(当協会ホームページ「オピニオン『V時評』への想い」より)。
現場で奮闘する人たちの力になりたいとの想いを込め、20年間に14人が文章を寄せた。感謝の意を込めて紹介する(五十音順、敬称略)。磯辺康子、太田昌也、岡本榮一、岡本仁宏、柏木宏、神野武美、筒井のり子、永井美佳、早瀬昇、吐山継彦(故人)、牧口明、牧里毎治、増田宏幸、水谷綾で、協会における立場(当時)は、ウォロ編集委員長やV時評担当編集委員、協会役員や評議員、ボランタリズム研究所所長らだ。協会以外の顔は、大学教員、新聞記者、ライター兼編集者、民間企業人、市民活動家など多様で、おのおのの専門性や経験、関心をもとに、「市民の論理」を追求している。
V時評で追及してきた「市民の論理」とは何か。04年11月号の「『月ボラ』『ウォロ』400号記念特集パート2」で「35年間の『V時評』を読む」があり、V時評は四つの範疇で論じているとしている。それは、①活動のあり方を問うもの、②民の主体性を強く求めるもの、③「市民活動の論理」をつむぐもの、④世の事象を市民活動の目で分析するもの、だ。
この要素は、創刊以来、現在まで脈々と受け継がれている。最近は、④の世相や社会情勢を受けて、①のボランティア・市民活動のあり方を問うたり、②の自分ごとで捉える行動を促したり、③の市民活動の論理やオルタナティブな提案を示唆したり、という論理展開が増えている印象だ。
V時評が時を超えて色あせないと感じるのはなぜか。それは、取り上げるテーマについて、一過性ではなく普遍性を追求して論じようとしているからだろう。論じることは、自らへの問いかけでもあり、自身の行動宣言にもなる。論じれば、未来の自分への申し送りとなり、約束が生まれる。V時評で論じた約束を果たそうと心がけるから、今なお、色あせずに心に響くのかもしれない。同時に、実行中の約束を再認識する機会にもなる。ひとつでも多く有言実行できるよう、市民社会へ呼びかけながら実践につなげたい。
ところで、V時評は、当協会ホームページ「ボラ協のオピニオン―V時評―」で、322号(『月刊ボランティア』1997年1・2月号)以降のものをご覧いただける。アーカイブならではの読み方、たとえば、気になるタイトルから読む、執筆者を選んで読む、時系列に読み直すなどで、少しでも役に立つならうれしい。
これからも、現場で奮闘する人たちにボランタリーな取り組みの可能性を伝え、時代の一歩先を見据えたオピニオンで勇気づけられるよう、執筆者一同で精進したい。
2024.12
追悼 牧口一二さん 播磨靖夫さん
編集委員 早瀬 昇
2024.12
人口減少社会の災害復興―中越の被災地に学ぶこと
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