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日本も無縁ではない「ギレアデ共和国」の悪夢

編集委員増田 宏幸

 本誌89月号では、米トランプ政権下でさまざまな逆風にさらされるNPOの状況をテーマに特集を組んだ。トランプ氏が大統領に当選した直後から「どうなってしまうのだろう」とは思っていたが、就任わずか半年あまりで米国内外にここまで影響を与えるとは、正直思っていなかった。トランプ氏の任期はまだ3年以上ある。それだけでも先行きに大きな不安を覚えるが、同じ路線を次の政権も継承したら……と考えると空恐ろしい。トランプ氏が恣意的に軍隊を動かす姿を見ていると、なおさらだ。


 

 トランプ氏は6月、移民取り締まりに対する抗議行動への対応としてカリフォルニア州ロサンゼルスに州兵と海兵隊を投入した。8月には犯罪対策名目で首都ワシントンに、10月に入るとテネシー州メンフィスにも州兵を派遣した。イリノイ州シカゴやオレゴン州ポートランドへの派遣も発表したが、連邦地裁などが一時差し止め命令を出している。いずれも民主党の支持率が高い都市を標的にしているとみられ、ニューヨークなど他都市への派遣も計画しているとされる。

 正当性に疑いをもたれているにもかかわらず軍隊を動かすのは、いったい何を意図しているのか。あるいはさしたる意図はなく、単に大きな権力を誇示したいだけなのか。


 読んだ人も多いかもしれないが、ここでカナダ人作家のマーガレット・アトウッドが書いた2冊の小説、日本では早川書房が刊行した「侍女の物語」(1985年)と「誓願」(2019年)を紹介したい。米国の現状をベースに未来を描いたディストピア小説だが、特に「侍女の物語」は刊行から40年を経て、描写の現実化を否定できないような状況にある。

 「侍女の物語」が描くのは、政治が機能不全に陥った米国でクーデターが起こり、男性が支配するキリスト教神権国家「ギレアデ共和国」が成立した社会。すべての基本的人権を奪われた女性は四つの階層に分けられ、中でも「侍女」は支配階層の男性の子を産むためだけの存在と位置づけられている。 文庫版を読んだ21年当時は全く知らなかったが、米国では第1次トランプ政権時に「侍女」の服装で政策に抗議する女性のデモがあったという。



 ギレアデ共和国が崩壊するまでを描いた「誓願」の翻訳者、鴻巣由紀子さんは文庫版のあとがきで「(226月に米国)連邦最高裁から妊娠中絶を違憲とする判決が下る。……恐れていた『ギレアデの悪夢』が現実になったと、アメリカ中に激震が走った」と書く。40年前には根拠のないファンタジーとみる向きもあった小説が、切実な脅威となってしまったのが今の世界だ。

 トランプ氏はなぜ軍隊を動かすのか。930日には世界に展開する米軍の指揮官(将軍、提督)を招集。国防長官はDEIの推進など軍の多様性を否定し、トランプ氏も「会合前、気に入らない軍幹部は解雇すると記者団に語った」(ロイター通信)という。

軍隊の国内派遣を既成事実化しつつ、命令に抵抗する指揮官を意のままに排除していったらどうなるだろう。米国人にとって「ギレアデの悪夢」が決してフィクションでないことが実感として迫ってくる。


 鴻巣さんが出演したNHKEテレ「100de名著」のテキスト版の表紙には「行き過ぎた『理想』はやがて狂信と独裁を生み出す」とある。ギレアデ共和国に限らず、あらゆる国や組織の指導層も本心か建前かはともかく、「理想」を掲げるだろう。だが一人よがりの理想であれば、それは他者への想像や共感を欠いた、独善的でゆがんだ世界観でしかない。

 トランプ氏自身にクーデターの意図はなくても、その大きな権力を利用しようとする人間はいる。民主的な国で、民主的な手続きで選ばれた政権が、誰も望まない、あるいは望む人が少ない政策を、国会の多数を背景に実施し制度化していく例は、ナチスドイツを挙げるまでもなく今もある。憲法上疑義のある集団的自衛権が、国会の議決なく閣議決定で容認された日本もしかり、だ。本誌前号の米国NPO特集が、日本にとっても対岸の火事ではないことを再認識させられる「現実」である。

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