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オピニオン「V時評」

『ウォロ』に掲載している「V時評」は、時代の一歩先を読み、新しい課題の発見や提言に努めるオピニオンです。

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V時評T【2019年10・11月号:掲載】
「東京一極集中」に思う―危機感の無さに危機感を覚える

編集委員 神野 武美

 鉄道が11月30日に東京都心に乗り入れる。「相鉄」はかつて、横浜駅から神奈川県中央部の海老名駅を結ぶローカル私鉄だった。それが西谷駅から新線を建設してJR東海道貨物線につなげ、同線を旅客路線化して武蔵小杉駅経由で新宿に向かう。元々JR南武線と東急東横線の乗換駅の武蔵小杉駅は、2010年に横須賀線の駅が開業して「便利」になった。駅周辺はタワーマンションが林立し、各種調査では「住みたい街」で上位ランキングされているが、通勤時の混雑率は200%に近く、ホームも人があふれて危険な状態だ。「相鉄・JR直通線」が開通すれば、いっそう混雑がひどくなり混乱が予想されている。東京への人口集中がもはや限界に達していることを象徴する事例ではないのか。

 巨大都市に人口や産業が集中するのは、その利便性からくる「集積の利益」のためであり、その一方で事務所や住宅の賃料が高騰したり、交通混雑がひどくなったりといった「集積の不利益」も増大する。さらに、道路や鉄道の建設、郊外の宅地開発、都市再開発で、ネックとなっていた要因が取り除かれると、一層の集中を呼び込む。それは、都心に不動産を持つ富裕層や、収益性を追求する企業のための「集積の利益」であり、地方は、労働力と仕事を奪われて衰退し、大都市は流入した市民を中心に貧困層が形成される。
 「今のような東京一極集中の経済は確実に終焉を迎える」と言うのは、第一次安倍内閣で総務大臣を務めた増田寛也氏。産経新聞論説委員の河合雅司氏との対談形式の著作『地方消滅と東京老化』(ビジネス社、15年)で述べた。この著作を要約すると、河合氏は「東京は、地方の若者を吸い尽くしその活力の源泉は枯渇寸前であり、東京の高齢化は急速に進む。空き家が急増し、少し不便な地域の不動産は土地や家屋は買い手がつかず不良資産化する。地価の高さが富を生むビジネスモデルはもはや成り立たない」とする。増田氏は「地方経済は年金による消費で支えられてきたが、東京に高齢者が増えれば年金のカネも東京に集中する。東京に残るべきは、世界から取り込んだ能力の高い人に高い給料を払える企業だが、労働集約的な企業が依然として、若い人を安い給料でこき使い24時間営業などして成り立っており、このままでは東京も地方も共倒れする」と指摘している。
 こうした考えは、高齢者人口がピークとなる40年頃を想定した総務省の自治体戦略2040構想研究会の報告(第1次、第2次とも18年)にも反映されている。

 安倍政権に批判的な金子勝・立教大学特任教授(経済学)は「IOTやICTは小規模かつ多数に分散した情報を瞬時に調整できる特性を持つがゆえに、効率的な地域分散ネットワークを構築できる」「原発、リニア新幹線、といった、古い産業(ゾンビ企業)を救済する大規模プロジェクトやカジノ誘致では、経済の新陳代謝や成長を引する産業は生まれない」(『平成経済衰退の本質』など、19年)と述べている。政権に近い増田氏らとも、地方の活性化を図る方向は一致しており、「いつまでもきれいごとを言って、小手先の改革でお茶を濁していたのでは日本は本当に沈没してしまう」(河合氏)という危機感も同じだ。

 しかし、テレビなどマスコミの報道には、こうした危機感はみじんもないようだ。相変わらず、東京発の芸能ネタ、東京五輪キャンペーン、日韓の対立をあおるといった報道ばかりである。こうした身近に迫る危機(東京で大震災が起これば一気に表面化するが)について、政治的立場の違いを乗り越えて議論を起こすべきであり、それは可能であると思う。

V時評U【2019年10・11月号:掲載】
小さな記事の波紋から―情報を読む「頭の体操」

編集委員 増田 宏幸

 今年6月、大阪府内の某大学で「メディアの現場」について話す機会があった。この講義は基本的に週1回あり、一線で取材・編集に関わる30〜40代の新聞記者が「現場のリアル」を語るのがコンセプトだ。筆者は取材の最前線を離れて久しく、40代以下でもないが、初回と「まとめ」など節目で登壇した。まとめに必要な各回の講義内容や理解度については、200人近い学生が提出する400字程度の文書で把握し、そこに書かれた感想や質問に答える形で自分の回を進めた。その一例を紹介したい。
 ――安倍首相は5月14日、皇居で新天皇に、即位後初の国政報告をした。関連する毎日新聞の記事に、こんなくだりがあった。「(首相は同日)夜、新元号発表に関わった首相官邸幹部らと会食。関係者によると、首相は『前の天皇陛下はいつも座ったままだったが、今の陛下は部屋のドアまで送ってくださって大変恐縮した』と話した」。どうということのない小さな記事の、しかも一部分だが、この記事に対して宮内庁が抗議文を公表した(現在もホームページで読める)。
 その内容(抜粋)は「『前の天皇陛下』」すなわち上皇陛下が、座ったまま総理をお見送りになることはあり得ません。上皇陛下は、行事に際し、宮内庁職員に対しても必ず席を立って挨拶をお受けになっており、外から来られた方を座ったまま出迎え、見送られた例は、相手が誰であれ一度もなかったと思います。(中略)宮内庁は、官邸に記事内容の事実確認を求めましたが、総理は記事にあるような発言はしていないという回答でした」というものだ。学生は恐らくネットの言説でこの件を知ったのだろう。記事が虚偽だという前提で、辛辣に批判する感想を出してきた。

 筆者は出稿元である東京本社に問い合わせ、取材はいわゆる「囲み」?会食会場から出てきた関係者に報道各社が内容を聞く形式?で、他社も記事中の発言を聞いていることなどを確認した。そこで講義では、「うそをついたのは誰か」という問いを出発点に話した。
 "容疑者"は4者だ。1)記事を書いた記者 2)取材に答えた会食参加者 3)安倍首相(官邸) 4)宮内庁。このうち記者は、他社も聞いているという点で真っ先に除外される。傍証としては、宮内庁の抗議は毎日新聞社に直接来ていない(訂正なども求めていない)、他社もこの件を報じていない、など。2)については、そんな場に招かれる参加者が首相の言葉を捏造(しかも詳細に)するだろうか、という素朴な疑問が浮かぶ。残るは3)と4)だ。本当に「そんな発言はしていない」のか、「上皇陛下が座ったまま出迎え、見送られた例は一度もなかった」のか。2)と4)が事実なら3)は二重にうそをついたことになるが、上皇は例外的に安倍首相のみ座ったまま見送っていた可能性は残る。となると安倍首相は会食で事実を語ったが、宮内庁の何らかの忖度に呼応する形で発言自体を打ち消したのかもしれない。
 講義では「真相は分からない」とした上で、「上皇が実際にどうしていたのか、その確認が取れないのに書いた新聞社も甘かった」と話した。同時に、新聞であれネットであれ、何かの言説を一面的に信ずる(前提にする)危うさにも注意を促した。それこそが学生に伝えたい第1の項目だったからだ。

 市民活動を含め、どんな活動にとっても情報の大切さは変わらない。人は情報に基づいて判断を下し、行動する。古今東西、情報を巡ってせめぎ合いがあり、犯罪さえ起こるゆえんだ。だからこそ情報は、意図的な発信によって人を動かす道具にもなる。
 誰もが発信者になる時代、情報の吟味は一層重要性を増す。社会がどんな情報に基づいて今を、そして未来を選択していくのか、学生が情報の見方やメディアリテラシーの意義と怖さを読み取ってくれたらと思う。それは我々、市民活動の担い手にとっても同じことだ。

V時評T【2019年8・9月号:掲載】
ハンセン病家族訴訟判決に思う

編集委員 牧口 明

 去る6月28日、熊本地方裁判所で審理がおこなわれていた「ハンセン病家族訴訟」の判決が下された。結果は原告側のほぼ全面勝訴と言えるもので、7月9日に被告の国側が控訴を断念したことで判決が確定した。
 この裁判は、2001年に同じ熊本地裁で出された、患者本人に対する国の賠償責任を認めた判決を受けて、患者の家族が「ハンセン病においては、患者のみでなくその家族も、国の誤った政策により差別・人権侵害を受け、大きな被害を被ってきた」ことへの賠償を求めて16年に提訴したものである。この機会に、日本におけるハンセン病施策の歴史を確認しておきたい。

 ハンセン病(らい病)は紀元前から知られている病であるが、その後遺症として手足や顔面などに著しい変形をもたらすことから、周囲の人たちからは天罰やたたりによるものとして罪人のごとくに扱われて忌避されてきた長い歴史を持つ。
 近代に入っても「遺伝」や「不治の病」との考え方が流布していたが、1873年に、ノルウェーのアルマウェル・ハンセンによって「らい菌」が発見され、感染病であることが明らかにされた。そして、その感染力も極めて微弱なものであることが19世紀末には知られるようになった。1897年に開催された第1回万国会議においては、ハンセン病は伝染病であること、治療は、症状に応じて「相対的隔離」を原則とすることが確認された。
 ところがなぜか、日本においては1907年に制定された「法律第11号・癩予防に関する件」によって、世界の動向に反して絶対隔離の政策がとられるようになった。感染力からして全くその必要のない患者を家族や地域社会から引き離し、一般社会から隔絶された療養所に強制的に入所させること自体大変な人権侵害であり、そのことによって「ハンセン病は恐ろしい伝染病」との誤った認識を一般国民に持たせてしまった罪は余りにも大きいと言わざるを得ない。判決文でもその点について「家族が国民から差別を受ける一種の社会構造を形成し、差別被害を発生させた。(中略)原告らは人格形成に必要な最低限度の社会生活を喪失した」と指摘している。
 さらに驚くべきことに、この政策は第2次大戦後も継続され、WHO(世界保健機構)がハンセン病患者を対象とする隔離政策を見直すよう提言した52年の翌年には、その提言に挑戦するかのごとく、多くの患者の反対を押し切って「改定らい予防法」が制定され、「療養所への入所勧告を原則とする」方針が確認された。この時期、戦時中アメリカで開発された治療薬プロミンの合成に国内でも成功し(47年)、「ハンセン病は確実に治る病気」となっていたにもかかわらずである。

 では何故、このような理不尽が長年にわたって是正されることなく続けられてきてしまったのか?
そこには、明治30年代から昭和30年代にかけての60年余りにわたってハンセン病医療にかかわり、絶対隔離政策に多大な力を振るった光田健輔の影響を無視することはできない。
 光田は1923年に開催された第3回国際らい会議の折に、インド代表のロージャーが作成した国別患者表を見て、日本の患者数は植民地国家同様の多さであることを知り、そのことを国辱と感じたと言う。その国粋主義的価値観と優生思想から、「病の治癒」ではなく「病人の抹殺」を図ろうとしたように思われる。そうした光田の考え方は、折からの「健民健兵政策」と共鳴して国策として権威づけられた。
 ここで私たちが忘れてならないのは、正しい知識を与えられなかったためとは言え、戦前のみでなく戦後もおこなわれた「無癩県運動」なる取り組みによってそうした「病人抹殺」のお先棒を担がされたのは「善良なる」一般市民であったという歴史的事実である。
 最近出版された池田浩士『ボランティアとファシズム』には、戦前日本の大政翼賛運動やナチズムを例に、市民(国民)の自発性が全体主義権力を下支えする構造が丁寧に論述されているが、今日でも私たちの活動には、常にそうした怖ろしさがしていることを改めて肝に銘じておきたい。

V時評U【2019年8・9月号:掲載】
活動参加の機会を現役世代にも

編集委員 早瀬 昇

 「夫婦そろって65歳から30年間生きると、老後資金が総額2000万円不足する」との試算を発表した金融庁の金融審議会報告書が大きな話題となった。元々、現行の年金制度は現役世代の年収の5割前後の所得を保障する仕組みだから、現役の時期と同じ生活水準を退職後も維持しようとすれば年金だけでは不足することは以前から明らかだった。参議院選挙後に公表が延期された年金財政検証で、この保障水準がさらに低下する可能性はあるものの、年金制度が急に破綻したわけではない。
 しかし、具体的に2000万円という金額が示されたことで、老後への不安が高まったことは確かだ。定年退職後も何か仕事を見つけなければ……と思った人も少なくないだろう。

 この件は、今後の市民活動の行く末を考える上でも心配な話だろう。シニア層は市民活動を支える重要な担い手だが、今後、「老後も有給の仕事をしなければ……」という人が増えると、活動の参加者が減る懸念があるからだ。
 総務省の社会生活基本調査では、男性のボランティア行動率が最も高いのは65歳から69歳の31・0%(2016年調査)。女性では40歳から44歳が39・4%で最も高いが、01年調査から15年間で4%減少。ちなみに35歳から39歳の女性は約10%減っている。これは、女性の就業率向上が影響していると言えるだろう。
 女性に続き男性高齢者も有給の仕事への志向が高まってくると、市民活動の担い手の先細りが心配になってくる。

 そんな中、昨年、リクルートワークス研究所から注目される調査結果が発表された。「人生100年時代のライフキャリア」と題する報告書の中で、市民活動に参加している企業人は、前向きの姿勢の人々が多いと報告されたのだ。
 具体的には、「所属組織」と「キャリア展望」との関係を示したグラフ(注)を見てほしい。ここで「キャリア展望」とは、これからのキャリアや人生について「自分で切り開いていける」「前向きに取り組んでいける」「明るいと思う」という回答の合成変数。このグラフでは、同じ職場の同僚としか関わりのない人のキャリア展望が最低であるのに対し、ボランティア活動やNPOに関わっている人のキャリア展望が最高になっている。
 職場内だけの付き合いにとどまらず市民活動などに参加することは、自らの視野を広げ、新たな取り組みに挑戦しようとする意欲を高める効果があると言えそうだ。このデータが知られれば、現役時代から、そして高齢になっても、二足のをはいて、仕事に加え、市民活動も楽しむスタイルが広がる可能性がある。

 企業の社会貢献活動が活発化した90年代以降、ボランティア休暇の導入などで、社員のボランティア参加を応援する企業は増えてきた。また、仕事で培った専門性を生かして市民団体の活動を応援する「プロボノ」の参加を、積極的に応援する企業も出てきた。さらに大阪ボランティア協会では、週末や平日の夜に3時間程度で完結するプログラム「ボランティアスタイル」を実施している。
 こうした取り組みを各地で共有し、どんな年代でも、働きながら市民活動に参加することができる機会の提供を進めたい。仕事と市民活動の両立は、より前向きに生きる鍵とも言えるのだから。


(注)リクルートワークス研究所(2018)「人生100年時代のライフキャリア」の掲載図を元に一部修正。

V時評T【2019年6・7月号:掲載】
名古屋城天守閣復元計画 振り出しに戻って検討せよ

編集委員 牧口 明

 伊勢音頭で「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と歌われてきた名古屋城天守閣の復元計画を巡っていま、名古屋市政が混迷している。
 ことの発端は一昨年4月、「木造天守閣復元」をかかげた河村たかし市長が4選を果たしたことに始まる。戦後の1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された現在の天守閣は、60年近くがたって老朽化が進み、耐震上の問題が指摘されていることがその背景にある。
 なぜ「木造による」建て替えなのかというと、名古屋城天守閣には、戦災で焼失する以前におこなわれた調査に基づく記録(昭和実測図)をはじめ豊富な史料が残されており、史実に忠実な木造での復元が可能と言われているからである。
 名古屋城は、戦前の30年に城郭として初めて国宝に指定され、天守閣を焼失した戦後も国の特別史跡に指定されている。この名古屋城を「名古屋市民の精神的支柱であり、誇りだ」とする河村市長は、天守閣の木造復元を実現することで「特別史跡名古屋城跡の本質的価値をより広く内外に発信する」ことができると考えているようだ。

 そこで問題となっているのがバリアフリーへの対応だ。今さら述べるまでもないことだが、現代の建築物においてバリアフリーへの対応は、特に公共的建築物については絶対的要件と言っても過言ではない。それは、国際的には障害者権利条約、国内的には障害者差別解消法において明確にされていることである。
 ところが、驚くべきことに河村市長は、「史実に忠実に復元する天守閣とするために」天守閣内部には「バリアフリー法の建築物移動円滑化基準に対応するエレベーターは設置できない」。また外部エレベーターについても、「景観計画により名古屋城の眺望景観の保全を図る」ために「設置しない」との方針を打ち出したのである。  これに対し、障害者インターナショナル(DPI)日本会議をはじめとする障害者団体が抗議の声をあげたのは当然のことである。
 同会議は昨年5月の総会において、スプリンクラーや照明設備、トイレなどを例に挙げて「多くの人が利用するものは史実に忠実ではなくても設置するのに、障害者や高齢者等が必要なエレベーターは史実に忠実という名のもとに設置しない。これは、障害者への差別です」とする抗議文を採択し、市長のダブルスタンダードに異を唱えた。
 これに対して市長は、エレベーターに代わるバリアフリー対応策として、「新技術を用いる12の提案」をおこなっているのだが、その内容たるや、「段差を上る車いす型ロボット」「装着型の移動支援機器」「VR・分身ロボット」「車いすに乗ったまま乗降可能なチェアリフト」「車いすに乗ったまま乗降可能なはしご車」「フォークリフト・高所作業車」「車いす用段差解消機」「(車いすでの)搭乗可能なドローン」「二足の移動補助ロボット」「パワードスーツ」「人工筋肉」「国際コンペ」といったもので、いずれもまともな検討に値する提案とは言い難い。DPI日本会議副議長の尾上(おのうえ)浩二さんは「ドローンやはしご車、フォークリフトで、誰が天守閣まで昇りたいと思うだろうか」と疑問を投げかける。
 また、最後の国際コンペは「新技術開発のための提案を募る」もので、要するに、現時点でエレベーターに代わる新技術の確固とした見通しがあるわけではないことを自ら明らかにしたものとも言える。

 この天守閣復元計画に関しては、バリアフリーへの対応以外にも、重要文化財である石垣保全の問題や、500億円を超えると見込まれる経費の調達に関する問題など数々の問題点が指摘されている。もう一度振り出しに戻って歴史に禍根を残さない方策を考える必要があるだろう。

V時評U【2019年6・7月号:掲載】
ふるさと納税は寄付ではない 〜返礼品で失われる共感のつながり〜

編集委員 早瀬 昇

 今年3月に成立した改正地方税法により「ふるさと納税」が6月から新たな仕組みに移行した。過度の返礼品競争を抑制するため「寄付」者に贈る返礼品を「寄付」額の「3割以下の地場産品」に規制することになった他、過度の返礼品競争をあおったとされた泉佐野市など4自治体は制度の対象から除外された。
 しかし、そもそもこの制度は真の地域振興や寄付促進といった点で疑問の多い仕組みだ。制度改正にあたり、この点を指摘したい。
 ふるさと納税とは実質的に、納税者が、納める地方税の納税先を選択できる制度だ。その際、所得などに応じた上限額までは、「寄付」額から2000円を引いた金額が全額、納税額から控除を受けられる。これだけなら、ふるさとや被災自治体などへ納税先を振り替える仕組みだと言えるのだが、ここで問題となるのが返礼品の提供だ。
 お礼状などを除き返礼品を提供していない自治体も一部にあるが、逆に「寄付」額にほぼ近い市場価値の返礼品を提供している自治体もある。総務省が規制する「寄付」額の「3割以下」とは仕入額であって市場価格ではないことから生じる現象だ。税控除を受けられる上限額までなら、いわば2000円の手数料を支払って、これらの返礼品をタダで手に入れることができる、ということになる。
 実際、ふるさと納税の紹介サイトは、肉や魚介・海産物、果ては旅行券・チケットなど返礼品の種類から検索でき、ほとんどネットショッピングと変わらない状況だ。こうした中、ふるさと納税の利用は毎年増加し、2017年度には約3、650億円にまで達した。

 この制度については、返礼品となる地元産品を「安いから買う」商品にしてしまいブランド価値を下げる、ふるさと納税の紹介業者に支払う手数料が「寄付」額の1割ほどになり全体の税収を減らす、高額所得者ほど有利な仕組みで税の再分配機能を阻害する……など、数多くの問題点が指摘されているが、本稿で問題としたいのは、この仕組みが「寄付」として扱われている点だ。
 総務省が運用する「ふるさと納税ポータルサイト」では、「『納税』という言葉がついているふるさと納税。実際には、都道府県、市区町村への『寄附』です」としている。税は基本的に徴税されるものだが、ふるさと納税は自主的に選択し、使途も公共的だ。その点では本来の寄付に似た側面もある。しかし多額の返礼品がある場合、それを寄付とは言い難い。実際、国税庁のサイトでは「寄附金とは、金銭、物品その他経済的利益の贈与又は無償の供与をいいます」と明記している。贈与ではなく返礼品との交換である現状では、これを寄付としてはならない。

 まさにネットショッピング化しているふるさと納税を、寄付と呼ぶことの問題は大きい。このような語法が広がれば、本来の寄付でも経済的価値の伴う「返礼品」を期待する風潮が広がりかねないからだ。
 本来、寄付者への返礼は、寄付者から託された意志を受け止め、寄付者が共感できる「成果」を生み出すことで実現される。その成果が実感でき、その取り組みに参画したことを喜べる状態を目指すべきだ。平和を願う映画制作にあたり、素晴らしい映画を作るとともに、寄付者の名前をエンドロールに掲載した『この世界の片隅に』は、その好例だ。逆に"モノで釣る"働き掛けでは、モノそのものに関心が集まり、取り組み自体への関心や共感は弱まってしまう (注)。
 寄付の成果が共有されることで、寄付者は自身が託した「寄付の力」を実感できる。この関係が循環することで、寄付への信頼感が高まり、寄付者の輪が広がっていく。寄付の文化とは、この「寄付の力」を信じる価値観が社会に広がっている状態だ。安易に返礼品に頼るのではなく、共感を高める努力こそが王道だろう。

(注)内発的な動機付けに関する研究で、この点は明らかだ。たとえば『人を伸ばす力』エドワード・デシ他、『モチベーション3・0』(ダニエル・ピンク)など参照

V時評T【2019年4・5月号:掲載】
「安全」を脅かす同調者だけの空間

編集委員 増田 宏幸

 「鬼ごっこ」と「隠れん坊」は子どもの遊びの定番だ。もしかすると赤ちゃんをあやす「いないいないばあ」も、この二つの前段かもしれない。隠れたり出てきたり、追いかけたり捕まえられたり。日本だけでなく世界中に同種の遊びがあるらしい。でも、そこでふと思う。地域や世代を超えて受け継がれるには、それなりの理由があるのではないか?
 そもそも人が何かに追いかけられたり、どこかに隠れたりするのはどういった場合だろう。野生動物に襲われた時? 敵に攻められた時? もしそうなら、こうした遊びは周囲に危険があることを警告し、身を守る術を教えるために生まれたのかもしれない。そしてその遊びが続いているのは、人類が真の安全を手にしていない証明なのかもしれない。

 そんなことを考えたのは、今年3月15日にニュージーランド・クライストチャーチで銃の乱射事件が起きたからだ。50人もの人が亡くなったこの事件では、容疑者が自ら一部始終を撮影し、動画をインターネットにアップしていた。2011年7月22日には、ノルウェーで77人が犠牲になったウトヤ島事件が起きた。隔絶された湖の中に現場があり、事件を題材にした映画では犯人から隠れる被害者の姿が描写されている。被害者は安全な場所を求めて逃げ、それが無理なら見つからないように隠れるしかなかった。
 テロは現代文明社会の病理かもしれないが、実は「見知らぬ他人に攻撃される」という状況は、最近まで普通にあったようなのだ。ピュリツァー賞作家で学者のジャレド・ダイアモンドが著した『昨日までの世界』(日本経済新聞出版社)を読むと、例えば飛行機ができて初めてその存在が外界に知られたニューギニア高地の伝統的社会では、「知らない人間」はイコール「敵」を意味した。ある部族の領域に他部族の人間がうっかり入り込んだ場合、その人は殺されるか傷つけられ、あるいは反撃して相手を殺し、それが部族間の争いに発展することもあった。そうした抗争(戦争)における人口比の致死傷率は、20世紀の両世界大戦を上回るほどだったというから驚きだ。詳細は省くが、いま世界の一定の場所で、危険を感じずに見知らぬ他人と一緒にいられるのは、集団間の殺し合いを克服してきた「文明の恩恵」に他ならない。もちろん伝統的社会に学ぶこと(忘れられた美点)も多いのだが、こと安全に関しては、決して後戻りしてはならないのだ。

 しかし……。現在の状況を見ると、異なる考えや意見を敵視する新たな「部族社会」が数多く出現しているように思える。同じ思想で凝り固まり、同調者以外を敵視し、攻撃する人々。その極端な発露が、実力行為としてのテロだ。
 同じ意見だけが飛び交う空間を指す「エコーチェンバー」という言葉がある。閉じた入れ物の中で同種の考えが反響・増幅され、「やっぱりそうだ、自分は正しかったんだ」と安心する空間。エコーチェンバーこそ新たな部族社会であり、潜在的な脅威ではないだろうか。日本の国会を見ても、話のかみ合わないエコーチェンバー的質疑が増えている。沖縄・辺野古沖の埋め立て問題はその最たるものだ。
 異なる考え、意見を尊重することは民主的な社会を維持する土壌であり、その劣化は「安全」の揺らぎにもつながる。そのことを私たちはもっともっと重く受け止める必要がある。土壌を健全に保つために何ができるのか、来たる参院選での投票も一つの手段だろう。鬼ごっこや隠れん坊をたわいない遊びにとどめておくために、テロを生む土壌に目を凝らしたい。

V時評U【2019年4・5月号:掲載】
市民活動推進に人権感覚が必要なわけ

編集委員 永井 美佳

 年度が替わり、新しい事務局体制になったことを機に、大阪ボランティア協会(以下、協会)の職員全員で大切にしたいこととして次の三つを共有した。
 @大阪ボランティア協会の事務局員としてプロを目指したいこと、A世間の常識や自分の常識でものごとを決めつけないこと、B人の「いたみ」に敏感になれるよう感性を磨くこと――の3点である。特に、市民活動推進の世界でプロとしてやりぬくために、人権感覚を徹底的に磨き、身に付けることが必須であると強調した。すると、「『人権感覚』という言葉は初耳であり、ぴんとこない」と、民間企業から転身した新入職員から反応があり、私ははっとした。これまで、当たり前に使ってきた「人権感覚」という言葉だが、市民活動推進の文脈でその必要性を整理するとしたらどういうことだろうか。改めて考えてみた。

 人権感覚という言葉は、文部科学省の「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」が次のように定義している。「人権の価値やその重要性にかんがみ、人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを望ましいものと感じ、反対に、これが侵害されている状態を感知して、それを許せないとするような、価値志向的な感覚である」(2008年3月、「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」より引用)。つまり、人権が擁護されている状態を望ましいと感じ取ったり、侵害されている状態を許せないと感じ取ったりする心の働き、といえるだろう。このような感覚を身に付けることが、自分の人権とともに他者の人権を守るような実践行動につながると考えられている。この実践行動が人権擁護活動や人権啓発活動であり、その一つの形態がボランティア活動でもあるのだ。

 協会の目ざすボランティア活動の立脚点は三つあり、その一つは、基本的人権への正しい認識と擁護の活動である。そのことを、協会の基本要綱(1981年発行)では「基本的人権――つまり人間が人間らしく生きていくための人間の尊厳――への正しい認識が活動の立脚点、出発点でなければなりません。ボランティア活動はいわば基本的人権の擁護の活動であり、それゆえ単なる善意活動にとどまらず、差別や貧しさや困難をもつ人々とともに課題の解決をはかることであります」と記してある。「擁護」の意味は、「危害・破壊を加えようとするものから、かばいまもること」(三省堂『大辞林』第三版)なので、基本的人権の擁護の活動とは、人間が人間らしく生きていくうえで、何者かが危害や破壊を加えようとしたならば、他人事として見過ごさずにかばい守る行為、ということになる。ボランティア活動において、人権感覚はアンテナとなるのだ。
 アンテナの受信感度は高い方がよいし、人権感覚を身に付けた人材を育成することは協会の重要な仕事の一つである。どのような人を増やしたいかといえば、「課題の解決をあきらめない、もしくは、誰かのあきらめない生き方を応援するために、社会の課題を敏感に認知し、ときには多くの市民への可視化を通じて社会化するように動いたり、課題解決に向けての多様な手法を提案できる、そんな人材」であり、これが協会の目ざす人材育成像だ(2015年、「『アソシエーターの手引き』アクションガイドブック」より)。
 協会で市民活動推進の職に就くということは、自分の人権とともに他者の人権を守るような人権感覚と実践行動力が求められるのだと、職員全員へ改めて伝えよう。そして、協会創立以来継承されてきたDNAを、未来へ語り継げる立場にあることを誇りに思う。

 市民が裁判員を経験することの意味は何だろうか。まず、司法が身近になったり、自分の世界が広がったりすることがあげられる。また、事案に真剣に向き合うほど、被告人や被害者の立場になって考えてみたり、社会問題に目を向けたり、自分の生き方を見つめ直したりと、自分たちの問題として裁判員裁判を考えるようになることもあるだろう。かけがえの無い経験は、価値観を柔軟に変化させて、人間的な成長を促すことにつながるはずだ。社会の問題を自分ごととしてとらえ、その解決に向けてボランタリーに行動する人が増えると、必ずや市民主体の社会の礎になると筆者は信じている。

V時評T【2019年2・3月号:掲載】
神戸レインボーハウス20年

編集委員 磯辺 康子

 阪神・淡路大震災後、親を亡くした子どもの心のケア拠点として建てられた「あしなが育英会・神戸レインボーハウス」が、今年で開設20年を迎えた。
 今、大災害が起きれば、「親を失った子どもの支援が必要だ」と多くの人が思うだろう。しかし、阪神・淡路大震災が起きた1995年当時、その意識は当たり前ではなかった。国も自治体も多くの民間組織も、「災害時に何をすべきか」を事前に考えてはおらず、次々に直面する課題に走りながら対応する状況だった。震災遺児の支援にしても、行政はその人数さえ把握しておらず、必要性を社会に認識させたのは、あしなが育英会という一民間組織だった。

 573人。それが、阪神・淡路大震災で親を失った子どもの数とされている。あしなが育英会の奨学金を受給していた全国の学生やボランティアが、新聞の犠牲者名簿などを頼りに被災地を歩き、見つけた遺児だ。東京に本部を置く同育英会は、もともと阪神・淡路の被災地に足場を持っていたわけではなく、避難所の一角を拠点に活動を始めた。
 「ボランティア元年」といわれた阪神・淡路大震災の市民活動が語られるとき、被災者に対する直接的な支援が注目されがちだが、「遺児を捜す」といった地道な活動に多くのボランティアが参加していたことを忘れてはならないと思う。遺児は住まいも失い、転居を繰り返していることが多く、捜すのは簡単ではない。粘り強い活動の積み重ねで、初めて遺児の実態が把握され、その後の支援活動の基礎が築かれてきた。
 日本初となる遺児の心のケア施設「神戸レインボーハウス」は、震災4年後の99年1月、被災が激しかった神戸市東灘区に開設された。子どもたちが思い切り遊んだり、語り合ったり、放課後に勉強をしに来たり、さまざまな使い方ができる空間がある。開設当時、心のケアプログラムは震災遺児に限られていたが、その後、対象を病気や自死で親を失った子どもたちにも広げた。その経験を受け継ぎ、レインボーハウスは東日本大震災の被災地やエイズ遺児が多いアフリカ・ウガンダなど国内外に開設されてきた。
 神戸レインボーハウスは、約15億円の建設費がすべて寄付でまかなわれた。運営も寄付で支えられている。日本に「遺児支援」や「心のケア」を根付かせた拠点は、いわば「市民の力」で作り上げられてきた。かつて「日本には寄付文化がない」などと言われたが、20年のレインボーハウスの歴史を振り返ると、寄付文化の浸透を実感する。
 市民からの寄付は、遺児家庭に対する震災直後の支援金、奨学金にも充てられてきた。阪神・淡路大震災は「心のケア」の必要性を認識させる一方、生活や住宅という暮らしの基盤の再生がなければ、ケアは実を結ばないという教訓も浮き彫りにした。その観点からすると、物理的、精神的双方の支援を寄付で支えてきたことは、重要な意味があったといえるだろう。

 阪神・淡路大震災から24年がたった今年1月。震災で親を失った遺児や、被災で苦難に直面した子どもたちが成長し、経験や教訓を伝える姿があちらこちらにあった。自身の人生が多くの人に支えられてきたことに感謝し、もらった力を社会に返そうとする思いが伝わってきた。
 もちろん、24年たっても、心の傷が癒えない人はたくさんいる。年齢を重ね、震災当時より生活が厳しくなっていく人もいる。そんな中で、後世に経験を伝えようとする遺児たちの姿は、一筋の希望になる。近年の被災地の人々にも、未来があることを感じてもらえるかもしれない。被災地の未来は市民の力の積み重ねで切り開かれるということを、心に刻んだ震災24年、レインボーハウス20年の節目だった。

V時評U【2019年2・3月号:掲載】
市民が裁判員を経験することの意味

編集委員 永井 美佳

 2019年5月21日に裁判員制度は十年を迎える。既に7万人以上の人が裁判員を経験し、2万人以上の人が補充裁判員を経験している。そのうち95%以上の人が「(非常に)よい経験」と感じているにもかかわらず(最高裁判所「裁判員等経験者に対するアンケート調査結果報告書(平成28年度)」17年3月)、辞退率の上昇や出席率の低下が著しく、制度推進上の課題となっている。

 大阪ボランティア協会「裁判員″ル判への市民参加を進める会(以下、裁判員ACT)」は、19年1月、「よりよき裁判員制度実現のために〜裁判員制度がより市民から理解されるようになるための提言書」を大阪地方裁判所へ提出した。提言書は8項目で構成され、「裁判官と裁判員経験者とによる、各地での公開座談会開催」や「経験を話すことは守秘義務に違反しないとの具体的説明」などを提案している(http://www.osakavol.org/pdf/act_teigen190115.pdfに全文掲載)。
 今回の提言に至ったきっかけは、「裁判員裁判に対する関心が『(やや)低下している』」と回答した人のなかで、具体的な理由の割合が最も多かったのは、「自分の周囲で裁判員裁判に関わったという声を聞かない」という回答だったことだ(「裁判員候補者の辞退率上昇・出席率低下の原因分析業務」報告書、17年3月、株式会社NTTデータ経営研究所)。それならば、市民が経験者の声に接することができるよう、誰かがその機会をつくれば、改善の一助となるであろう。

 裁判員ACTは、毎年12月初旬に、市民を対象とした公開学習会を開催し、実際に裁判員や補充裁判員を経験した人(以下、経験者)の体験談を聞く機会を設けている。裁判員ACTメンバーで弁護士の英樹氏は、経験者が共通して述べる感想が3点あるという。@もし周囲の人や福祉が事前に手を差しのべていれば、この犯罪は起こらなかったのではないか、A刑務所を出所した時にどうなるだろうか、周囲の人が受け入れて社会復帰できるだろうか、B裁判員経験後は、事件報道を見たときに、その事件の背景には何があるのだろうと考えるようになった、というものだ(本誌519号5ページ参照)。
 ある経験者は、「被告人の自己責任だけでは片付けられないことが多くあり、人のつながりが薄れた地域社会にも問題がある」と思うようになったという。そして、社会のひずみを背景にした事件を一つでもなくしたいと思い、非行防止に取り組む少年補導員として活動を始めた。別の経験者は、仕事で依存症の人の支援経験があり、被告人には依存症の人によくある特性を感じたという。刑を重くすればよいという単純な話ではなく、更生に向けた適切な支援が必要だと感じたという。そして、「裁判員裁判は、見えない世界を見、社会の中で起こっていることを、自分ごととして感じられる場になってほしい」と話す。ほかの経験者も、裁判員裁判に参加して意識が変わったという人は多い。

 市民が裁判員を経験することの意味は何だろうか。まず、司法が身近になったり、自分の世界が広がったりすることがあげられる。また、事案に真剣に向き合うほど、被告人や被害者の立場になって考えてみたり、社会問題に目を向けたり、自分の生き方を見つめ直したりと、自分たちの問題として裁判員裁判を考えるようになることもあるだろう。かけがえの無い経験は、価値観を柔軟に変化させて、人間的な成長を促すことにつながるはずだ。社会の問題を自分ごととしてとらえ、その解決に向けてボランタリーに行動する人が増えると、必ずや市民主体の社会の礎になると筆者は信じている。

V時評T【2018年12月・2019年1月号:掲載】
情報交換と共有ができない―パノプティコン社会に想う

神野 武美

 行政機関や立法機関、裁判所が障害者の雇用数を水増しし、障害者雇用促進法に基づく障害者雇用率を偽っていたという再調査結果を厚生労働省が公表した。とくに驚かされたのは裁判所。障害者雇用者数641人のうち399人を水増し、雇用率2・58%の実際は0・97%だった(朝日新聞2018年9月7日付)。

 思い当たるフシがある。市民団体「知る権利ネットワーク関西」が08年10月7日、大阪地裁、高裁で行った「情報公開請求ツアーto裁判所」は、集団で公開請求することで情報公開の姿勢を検証する試みであった。裁判所は情報公開法の適用外だが、最高裁は下級裁判所に、「司法行政文書」は同法の基準により情報提供するよう求めた「依命通達」を出している。高裁に対し「障害者任免状況通報書」を請求すると、障害の程度や短時間勤務など雇用形態ごとに係数を掛けた計算上の「障害者数」7・0人と「実雇用率」2・06%は公開したが、なぜか、「重度」「知的」「視覚」といった障害別などの雇用の実数は全部黒塗りだった。「個人の権利利益を害するおそれ」というのが理由だった。
 裁判所の姿勢を非難しても障害者雇用率が上がるわけではない。古い話で恐縮だが、1992年に法定雇用率(当時1・8%)が未達成の大企業(従業員1000人以上)が大阪府に提出した「自社の取り組み状況」を異議申し立ての末、公開させたことがある。企業名は結局、非公開だったが、この資料をもとに、障害者団体は「(企業が「取り組み」として挙げた)湯茶業務やコピー業務は体力が必要で障害者向きではない」など、障害者の労働能力についての無知や発想の貧困さを指摘した。一方、ある人材派遣会社が主催した就職シンポジウムでは、企業の人事担当者から「企業名を公開した方が、障害者雇用について社内の理解が得られる」「他社の取り組みも知りたい」という声が上がった。国の情報公開審査会の答申(2002年11月)により、企業名入りの障害者雇用率が公開されるようになったが、旧労働省(厚生労働省)の姿勢は、企業情報に対する情報公開に消極的なままである。
 「水増し」の背景には、公共機関といえども「どうしたらよいのか」を知る機会が少ないという現実があるのだろう。役所(厚生労働省)は、企業や公共機関を指導監督、監視しているが、監視される側は、情報が公開されないため、お互いの状態や取り組みを知る機会がない。こうした状況を「パノプティコン社会」と言うらしい(本号26ページ「ライブラリー」参照)。中央にある監視所から放射状に配された独房を監視する刑務所の円形建物からの連想である。

 奈良少年刑務所(18年3月廃止)の職業訓練で、受刑者の情報処理技術者試験の合格率が5割を超し2割台の一般をしのいだ、という講演を聴いたことがある。受講者(受刑者)の横に講師が座り同じ画面を見て指導するなどして、分数もできなかった受刑者も合格した。ところが、別の刑務所では、講師が演壇から降りることが禁止され、受刑者は黙って話を聴くだけ。刑務所間の情報交換も情報共有がない、という報告であった。刑務所だから「パノプティコンで当然」? それは悪い冗談でしかない。

V時評T【2018年10月・11月号:掲載】
ダイバーシティ職場としてのNPO

大阪ボランティア協会理事長 牧里 毎治

 当協会の理事長をしていて報酬はどれくらいもらえるのか聞かれることがある。無償であると答えると、な顔をされる人もいる。この際だから、明確にしておきたいが、当協会はボランティア会員の運営参加で成り立っており、理事長は、その会員の代表ということであり、無償無給なのである。年会費も払うし寄付もする。会員の意思を代表して行事や催事のもするし、外部団体の会合でも会員を代表して挨拶もする。会員の総選挙によって選ばれたわけでもないので、会員の意見と総意を正しく反映させているかと問われれば、いささかたる思いになる。
 当協会は、社会福祉法人となっているが、組織内容としてはNPO法人に近い。会員参加型で運営を進めているし、事業といっても啓発活動やコンサル業、広報・出版業などが主たるものなので、直接的に保育や介護などのサービスを供給しているわけではない。市民がボランティアや助け合いなどの活動を促進し広めることを組織的に支援する団体で、インターミディアリ(中間支援組織)という性格がつよい。市民活動を自主的、主体的、組織的にしやすいように環境づくりや制度づくりをするなどアドボカシー(代弁・後援)の機能を果たすことがミッション(使命)であるといってもいいだろう。一枚岩の、目的も同一の組織ではなく、さまざまな社会課題を解決したいとやってくる個人およびグループ、団体、組織のネットワーク型集合組織なのである。

 企業とも行政とも違って、NPOは多様な構成員によって成り立つという特性をもっている。つまり無償のボランティアと有給・有償のスタッフとが混じり合って事業活動をしている組織ということができる。そもそも企業にも行政組織にも、無償・無給のボランティアが参加する習慣も制度も規則もない。かえって、無償・無給の人材をボランティアとして受け入れるとなると、途端にブラック企業、安上がり行政と非難・批判される羽目になる。
 企業や行政との比較で考えてみると、NPOは多様な人材をかす職場であるとともに、多様な働き方を柔軟に受け入れることができる組織であるともいえる。働き方改革の観点からいえば、ワークシェアもワーク・ライフ・バランスも可能な職場なので、フルタイム雇用からパートタイム就労、さらにホームワーク、ダブルワークや、請負型就業もできないわけではない。ダイバーシティな職場でもあるのだ。

 この職場の構成員にボランティアが加わると、さらに進んだ<_イバーシティ職場になってしまう。とりわけ事務ボランティアの参加の範囲が広がると、一層としてくる。スタッフ職員がやらなくてはならないコピーや情報整理、会員受け付け、会場設営などを無給・無償のボランティアが担当することになると、ボランティアの美名のもとに安上がりな労力として当てにすることにはならないか。あるいは職員の労働時間外や休日の活動をボランティアの立場でという扱いになると、本人の自由な意思での活動(いわば「嫌になれば、いつでもやめられる」こと)が保障されなければ労働基準法に抵触することにもなりかねない。
 実は、ボランティアとスタッフの間には、現場で活動するボランティアの荷を軽くするために、特に日常の事務を特定のボランティアが担当することでグループが成り立つ、という関係があったのだ。経常収支が潤沢になれば、専任の有給スタッフを配置することができるが、弱小零細なボランティア・グループではボランティアが事務局も担っていたのである。

V時評U【2018年10月・11月号:掲載】
避難所が象徴する災害対策の貧しさ

編集委員 増田 宏幸

 大阪北部地震に西日本豪雨、台風20、21号、北海道の地震と、梅雨時から夏にかけての日本はまさに災害の連続だった。多くの人命が失われ、家屋の被害が出た。交通機関がストップして出勤できなかったり、帰宅難民になったりした人も多かっただろう。かく言う私にもこんなことがあった。
 台風20号が近畿地方に接近した8月23日夜。JR大阪駅から、まだ動いていた各駅停車に乗った。電車は何事もなく進んだが、午後11時半ごろ最寄り駅の一つ手前で停止。「停電で運行再開は未定」だという。しばらく車内で待ったが状況は変わらず、タクシー会社に電話しても全くつながらない。たまらず「一駅歩こう」と決めて駅の外に出た。途端に、傘がひしゃげるほどの強風と土砂降りの雨。2、3歩進んだところで諦め、電車に引き返した。車内にはかなりの乗客がいる。シートに腰を下ろして「朝まで缶詰か」と思っていたら、一人の男性から声が掛かった。「○○まで帰るタクシーがつかまりました。一緒に乗る方はいらっしゃいませんか」。渡りに船とばかりに手を挙げ、他の女性2人と相乗りで最寄り駅にたどり着いた。そういえば……と思い出したのは、1995年の阪神・淡路大震災だった。状況こそ違え、こんな風に助け合ったな、と。

 「阪神・淡路」で思い出したのは、助け合いと同時に避難所の光景だ。厳冬の1月、寒さに震えながら、体育館や校舎の外まであふれた避難者。間仕切りといえばせいぜい椅子や段ボール箱しかなく、プライバシーはほぼゼロ。特に雑魚寝状態は、避難が長期化してもあまり変わらなかったように思う。あれから23年半。この間にあったさまざまな災害で見慣れた′景は変わっただろうか。
 新聞記事を調べたら、「阪神・淡路」より4年近く前に、避難所のプライバシーに触れた記述を見つけた。長崎県の雲仙・普賢岳噴火の被災者を取材した91年8月6日付の毎日新聞。「せめて、ついたてが一つあれば…」という見出しで、赤ん坊の夜泣きを気にする母親や、ストレス増大を懸念する医師の言葉を取り上げている。この当時から、現場ではプライバシーの問題が顕在化し、意識されていたのである。  個別には西日本豪雨被災地の岡山県倉敷市真備町で、世界的な建築家である坂茂さん考案の間仕切りが設置されたり、北海道地震で町の避難所に段ボールベッドが入ったりした例はある。だが問題が広く共有されたとは言い難く、「阪神・淡路」以来ずっと被災者支援を続ける坂さんも、次のように語る(9月13日付朝日新聞から抜粋)。
 「この23年間、自治体の側から『来てくれ』と言われたことは一度もありません」「どこに行っても役所の対応は同じです。『前例がないから必要ない』が大前提です。仕切りはない方が管理しやすいというんですね。陰で酒でも飲まれたら困るとか」「20年以上っても避難所の雑魚寝の風景は変わっていません」

 避難所というものについて、最低限備えなければならない共通した仕様を定め、制度化すべきだろう。事前に避難者数を予測し、プライバシーを確保しながら暮らすのに何カ所の避難所が必要かを逆算する。そのために必要な段ボールベッドや間仕切り、テントなどを備蓄する。とにかく安全な場所へ、という発災当初はともかく、状況がある程度落ち着いたら事前計画に基づいて避難者を各所へ誘導する。
 個の尊厳を尊重することが、避難所のバリアフリー化を進めるはずだ。社会的弱者を含めて全ての人が、せっかく助かった命をストレスや孤立によって失うようなことがあってはならない。こんな議論を今もしていること自体、災害対策の貧しさを象徴していると言えよう。次の災害は、いつまでも待ってはくれない。

V時評T【2018年8月・9月号:掲載】
オリンピックボランティアをめぐる課題

編集委員 筒井 のり子

 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)まで、あと2年を切った。今年は災害級≠フ猛暑が続いていることもあり、7月24日スタートという大会日程には、各方面から疑問と心配の声が上がっている。選手はもちろんのこと、観客、そしてボランティアにとっても極めて過酷な大会となることが予想される。
 今や、オリンピックにボランティアは欠かせない大きな存在となった。そもそもオリンピックに一般のボランティアが参加するようになったのは1948年の第14回ロンドンオリンピックからである。2000年のシドニー大会からは外国人ボランティアの参加が始まった。前回16年のリオ大会では約5万6千人、12年のロンドン大会では約7万人のボランティアが活躍した。東京2020大会では大会ボランティア(注1)8万人、都市ボランティア(注2)3万人、計11万人のボランティアの参加が計画されている。

 しかし、今回のボランティア募集については、大会組織委員会が今年3月に募集要項案を発表して以降、主にネット上で「参加条件が厳しすぎる」、さらには「やりがい搾取ではないか」と言った批判が噴出している。それらを整理すると大きく二つの論点があるようだ。一つは参加者の負担が大きすぎるというもの、もう一つは活動内容についてである。
 前者については、6月11日に正式発表された募集要項によると、@02年4月1日以前生まれで、活動期間中に日本国籍または在留資格を有する人、A1日8時間程度、基本10日以上活動できる人、Bオリエンテーションと研修に参加できる人、という条件が提示されている。ユニフォーム一式と活動中の飲食、ボランティア保険、および滞在先から会場までの交通費相当の額は支給されるが、自宅から滞在先までの交通費と宿泊は自己負担・自己手配である。これについて、(無償の)ボランティアにここまで求めるのは酷ではないか、という批判である。しかし、リオ大会でもロンドン大会でも1日平均8時間で2週間程度の条件が示されていたことを考えると、今回の東京大会が特別に厳しいというわけではない。また、研修等への参加を必須とすることも、より共感性の高い活動を作り上げていく上では必然性がある。
 後者については、当初、高度な通訳能力が必要と思われる活動が含まれていたため、専門職が担う仕事なのにタダ働きさせるのか、という批判である。これについては、確かに仕事として雇用するプロの通訳・翻訳者とボランティアとの役割の違いを明確にしておかねば、指摘されるような「やりがい搾取」になりかねない。

 これらの批判からは、ともすれば「活動日数や時間の減少」「宿泊費等の提供」「有償化」といった主張に流れがちだ。しかし、問題の本質は、単に時間を減らしたりお金を払ったりということにはない。参加するボランティア一人ひとりが、どれだけ自負心、すなわち「自分も大会を成功に導く重要な一員だ」という意識を持てるかが重要なのである。これから2年間、応募者のモチベーションをいかに維持し、エンパワメントしていけるのか。また大会期間中もどれだけボランティアが活動しやすいような仕組みや配慮ができるのか。そのためにどれだけの費用と時間をかけ、ボランティアマネジメントの専門性を発揮できるのかを問うていかねばならない。
 いずれにしても、本人が活動に共感し、条件を理解した上で、自主的に応募して来ることが大前提である。その意味から、今後の影響が心配な事案が発生している。7月26日にスポーツ庁と文科省が全ての国公私立大学長・国公私立高等専門学校長に対して、大会期間中の授業や試験の日程を柔軟に変更することを求める通知を出した。この通知を根拠に、動員的なボランティア集めが広がらないことを切に祈っている。

(注1)競技会場や選手村その他関連施設等で、観客サービスや競技運営サポート、メディアのサポートなど大会運営に直接関わる活動を行う。運営主体は大会組織委員会。 (注2)空港、都内主要駅、観光地、競技会場の最寄駅周辺及びライブサイト(競技会場以外で中継・イベントなど実施する場所)における観光・交通案内などを行う。運営主体は東京都。

V時評U【2018年8月・9月号:掲載】
市民活動における「合宿」の効用

編集委員 早瀬 昇

 7月下旬、運営委員を務める日本ボランティアコーディネーター協会の合宿に参加した。全国各地で活動している運営委員は、毎月、関東と関西で交互に開かれる運営委員会に出席する。しかし、旅費の補助がほとんどない状況で、全員が集うことは難しく、一回の会議時間も週末開催とはいえ3時間半ほど。そこで、創立3年目から毎夏、安価に泊まれ、会議室があり、かつ温泉もある……という場を探して、合宿を開いている。土曜の午後から日曜の午前中いっぱい、今年もしっかり議論をし、そして交流も深めた。
 この種の合宿―この場合は宿泊を伴った長時間の会議―は、多くの市民団体が実施している。本誌を発行する大阪ボランティア協会も、毎年11月と翌年3月に一泊創出会議、事業計画会議という1泊2日の合宿を開いてきた。そもそも協会の合宿の歴史を調べると、創設前の1965年7月に能勢の野外活動センターで開かれた第1回「ボランティアリーダーズ・トレーニングキャンプ」にさかのぼる。以来、何度も合宿が開かれ、70年には協会の事業運営を市民参加で進める「参加システム」誕生のきっかけとなった「温心寮会議」が1泊2日で開かれた。76年11月に「一泊拡大企画運営委員会」(翌年から「一泊創出会議」に名称変更)が開かれ、翌年3月に第1回「一泊予算会議」(今の事業計画会議)が始まった。さらに最近は年末に職員合宿も実施している。こうして見ると、協会は合宿をテコにして組織を成長させてきたとも言える。

 しかし、合宿にはかなりの経費がかかるし、参加者の自己負担も少なくない場合が多い。さらに拘束時間も長いのに、なぜ私たちは合宿を開き続けるのだろうか。それは、合宿を開くことが組織とメンバーにとって重要な意味があるからだろう。
 その理由として、まず考えられるのは「活動に節目を作る」ことだ。日々、目の前の活動に追われるなか、組織全体をした発想や中長期的な視点で活動を見直すことがおろそかになりやすい。しかし、ちょっとしたイベントでもある合宿では、少し先を見通した準備がなされ、中長期的な視点で活動を俯瞰する契機となる。  また、いつもは異なるプロジェクトに関わっているメンバーが集うことができれば、組織内の「一体感」も高まる。
 さらに、多くのメンバーがじっくり時間をかけて懸案を検討できることの意味も大きい。もともと合宿では日程調整などの準備が早く、その分、参加率も高くなりやすい。そこで、多くのメンバーとの意見交換で一定の結論が得られれば、その後の「活動を支える土台」を築くこともできる。

 これら組織にとっての意義以上に重要なのが、参加するメンバーにとっての意味だろう。
 会社を意味するCOMPANYの語源は「一緒にパンを食べる仲間」と言われている(注)。食事に誘うことが仲間づくりのテコになることはよくあるが、合宿では夕食や朝食を共にする。そこで仲間意識は当然に高まる。共感でつながり合う市民団体にとって、この点も重要だ。
 さらに入浴での「裸の付き合い」。夜遅くまでの語り合い。それに普段の活動では見られない意外な一面に接することもよくある。会場が温泉や緑豊かな場所などだったら小旅行の趣きもあり、「リフレッシュ効果」も期待できる。合宿の効用は、なかなかに広く深いといえそうだ。
 最近、ちょっと活動がマンネリ気味という皆さん。一度、合宿を計画してはいかがだろうか。もちろん、その合宿がマンネリになってしまわないよう、十分な準備と企画の工夫が必要なことは言うまでもない。

(注)語源由来辞典(http://gogen-allguide.com/ka/company.html)。ラテン語の「com(共に)」と「panis(パンを食べる)」の合成語に、仲間を現す「-y」が付いた語で、「一緒にパンを食べる仲間」の意味からきている。

V時評T【2018年6月・7月号:掲載】
「動員」されないために社会の実相に目を

編集委員 増田 宏幸

 最近、一番印象に残った言葉。
 「本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷であるは、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し中傷する点にある。本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである」
 政治学者、白井聡さん(京都精華大人文学部専任講師)の著書「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)から引いた。同書は、天皇への絶対忠誠を求めた戦前の「国体(注)」は敗戦によって消滅し、日本は国民主権の民主主義国へ転生したという常識≠否定。君臨する主体(主権者)が戦前の「天皇(菊)」から戦後の「米国(星条旗)」に変わっただけで、奉ずべき「国体」は継続し、一貫して米国への「異様なる隷属」が続いている、と論ずる。それを端的に示すものとして、日本国憲法に優越する日米安保法体系や、現在の言論状況を挙げる。「親米=愛国」「反米=反日」というねじれた認識がまかり通り、例えば沖縄の米軍基地に反対する者を「非国民」扱いする言説が、ネット空間だけでなく一部マスメディアや政治家からも浴びせられる。先に引用した「奴隷」とは、米国を頂く戦後国体の忠実なる臣民を指す。彼らは隷属状態を自らの利益とするので、奴隷であることを喜んで受け入れ、維持しようとする。沖縄の米軍基地に反対する(「お前は奴隷だ」と指摘する)者は、非難や誹謗中傷の対象となるのである。

 社会のさまざまな矛盾に向き合い、幅広い支援を得ながら課題解決を図る市民活動は「いま、そこにある危機」に目を向けがちだが、背景にある社会の価値観や政治の動向と無縁ではあり得ない。本書を長く紹介した理由は、自分たちが生き、活動している社会がどんな空間なのか、時には歴史も踏まえて実相を考える必要があると思うからだ。
 筆者はこれまでも本欄で沖縄の基地問題などを取り上げ、例えば「阿米(米国にること)こそ危機の本質」と訴え、安倍政権の「問答無用」体質を批判してきた。白井さんの論証を妄信するものではないが、現政権になって「米国の戦争」に日本が巻き込まれる可能性は格段に高まったと考えている。集団的自衛権の容認、安保関連法制定など米国に都合の良い現状改変を積極的に推し進めているからだ。
 一方、国内では何をしているのか。「森友・加計」問題に対する安倍首相答弁、財務事務次官のセクハラ問題における麻生財務相発言、近いところでは萩生田・自民党幹事長代行による「赤ちゃんはママがいいに決まっている」発言などを聞くと、情報公開や人権の尊重といった、市民社会に重要な側面については現状を変えたくないことが分かる。改変と維持――相反する態度に見えるが、矛盾はない。本物の奴隷は臣民として主権者に従い、一方で他者(沖縄や女性)が奴隷的境遇から脱するのを望まないのだ。

 普段はそこまで考えなくて良いことかもしれないが、国の政策や社会の空気がある方向に振れた場合、それに抵抗するのは非常に難しくなる。まして誤りが明らかならともかく、真相を判別しにくければなおさらだ。現に昨年の総選挙で「北朝鮮危機」はそんな旗印として掲げられたし、中国脅威論は常に私たちの隣にある。
 現実に向き合わなければ市民活動は成り立たないが、あまりに近視眼的に「社会の要請」に応えるなら、結果的に誤った活動を選択してしまう可能性もある。それはつまり、意図を持つ者に動員される危険性だ。
 政治や社会の潮流は刻々と変化する一方、多くの犠牲や悔恨の上につかみ取った教訓は普遍的な価値になり得る。自分たちの社会がどのように成り立っていて、現状はどうなのか、そして今後どんな社会(あるいは世界)を実現したいのか……。多忙な日々から一歩引いて考えることも、市民活動の成熟に不可欠ではないかと思うのだ。

(注)広辞苑によると「3 主権または統治権の所在により区別した国家体制。『国体の護持』」(語釈1・2・4は省略)

V時評U【2018年6月・7月号:掲載】
休眠預金活用への不信高めた内閣府のパブコメ対応

編集委員 早瀬 昇

 長期間(基本は10年間)取引のなかった預金「休眠預金」を社会課題解決の資金として活用しようという休眠預金等活用法が2016年12月に成立して1年半。昨年5月に休眠預金等活用審議会が設置され、今年1月には休眠預金の対象となる預金の公告と個別通知も始まった。来年1月以降、いよいよ活用の対象となる休眠預金が発生する。一方、休眠預金の活用で司令塔的存在となる「指定活用団体」の公募要領も発表され、秋には選定されることになった。

 休眠預金が注目される理由は、まずその規模の大きさだ。
 金融庁の調査では、毎年、新たに発生する休眠預金は16年度だけで約880万口座。過去に休眠預金となった口座でも後から払い戻しが可能だが、16年度の場合、払い戻しは約100万口座だけだった。休眠預金の金額も莫大で、16年度だけで約1270億円。同年度に払い戻しされた預金は約570億円で、差し引き1年で約700億円も休眠預金が増えている。1口座の平均預金額は1万円以下だが、休眠化する口座が多く、全体では巨額になる。
 この金額の規模と共に大きな影響が予想されるのが、活用法第16条で定める「資金の活用に関する基本理念」の解釈だ。
 条文には「社会の諸課題を解決するための革新的な手法の開発を促進するための成果に係る目標に着目した助成等」と記されている。この「革新的な手法」や「成果に係る目標」には様々な解釈がありえるが、その解釈次第では地道に取り組まれる継続的活動がないがしろにされたり、目に見えやすい短期的な「成果」ばかりが注目されかねないなど、休眠預金を活用するNPOなどにマイナスの影響を与えかねない懸念もある。
 この点も含め、審議会では9カ月間に11回の審議を重ね、5カ所での地方公聴会、40団体のヒアリングを実施した後、今年1月、「休眠預金等交付金に係る資金の活用に関する基本方針案」をまとめた。そして2月9日から3月10日まで、行政手続法にもとづく意見募集、いわゆるパブリックコメント(以下、パブコメ)を募集した。
 このパブコメを受けた審議を経て、基本方針が確定する。多くの人々がそう考え、全国から168件ものコメントが寄せられた。

 ところが、このパブコメ募集後に開かれた3月27日の審議会には驚いた。168件のパブコメに対して、いずれも基本指針に反映しない旨の回答集を当日、配布。内閣府の企画官が「パブリックコメントによって特段修正をしないということを、御報告申し上げます」と報告し、基本指針案は何も修正されず確定したのだ。審議会はわずか8分で終了した(注)。
 この対応への批判が広がる中、5月に開かれた審議会で内閣府の参事官は、パブコメは審議会ではなく内閣府の責任で実施するものであり、すべてのパブコメに回答しているから、法律上、手続きに問題はないと説明した。
 しかし審議会も関与してまとめる施策は、パブコメへの回答案を審議会に示し、そこでの議論を経て回答を確定するのが一般的だ。審議会での議論がなければ回答の妥当性を検証できず、ともかく回答を作文できれば良いというアリバイ作りと化してしまうからだ。
 本来の所有者の意図に関係なくなされる休眠預金の活用には、国民的な合意と共感が特に必要だ。パブコメを通じてこの制度の改善を願う人々の提案を可能な限り受け入れていれば、この制度への信頼が高まることになっただろう。
 その機会を生かさなかったことで、内閣府は制度への不信感を高めることになった。その上、内閣府が作った指定活用団体の公募要領には、基本方針にはない内容も加わっている。それは、指定活用団体の体制イメージの評議員構成者に挙げられた「政界」代表だ。元々、議員連盟の資料には入っていたが、審議会ではまったく議論されていない。これでは政治の世界からの圧力があったのかという疑念も浮かんでしまう。
 内閣府はスケジュール重視で粛々と準備を進めるまえに、まず国民の共感を高めるための丁寧な手続きを重視すべきである。

(注)内閣府のホームぺージ「休眠預金等活用審議会」
http://www5.cao.go.jp/kyumin_yokin/shingikai/shingikai2017_index.htmlからダウンロードできる動画および議事録より。5月審議会に関する記述も同様。

V時評【2018年4月・5月号:掲載】
石牟礼道子さんを偲ぶ

編集委員 牧口 明

 この2月10日に石牟礼道子さんが亡くなられた。水俣病問題を扱った『苦海浄土――わが水俣病』で多くの日本人に(そして、海外でも)よく知られた作家である。
 石牟礼さんは1927年に現在の熊本県天草市で生まれたが、それは、その時期一家が一時的に居を移されていたためで、本来は水俣のご出身である。年表風に言うと、この時期すでに、水俣では日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場の排水による漁業被害が出ていた。
 早熟で利発であった石牟礼さんは、小学校に入り、文字を習って作文を学び始めるとその魅力にとりつかれた。その時の感想をのちに、「『つづり方』というのを書いてみると、現実という景色が、いのちを与えられて立ち上がるのである」「この世を文字で、言葉に綴り合わせられることに驚いた。文字でこの世が復元できる。世界がぱーっと光り輝くようでした」と語っている。そして、40年に13歳で水俣町立水俣実務学校に入学すると歌づくりを始める。「生まれつきの文学者」であったと言える。敗戦後の47年には歌集『虹のくに』を自費出版してもいる。

 しかし、その文学的才能を存分に発揮できる環境は彼女に与えられなかった。先の歌集刊行と相前後して結婚したからである。夫は次男で教員であったとはいえ、当時の「農家の嫁」の置かれた立場は極めて弱いものであった。文学活動はおろか、朝の水くみの途中で、ちょっと拾った新聞を読んでいただけで「あの嫁は朝から新聞を読んどった」と噂される生活環境だった。
 それでも彼女は、歌誌の同人として活動を続け、58年には、上野英信・晴子夫妻や、谷川雁、森崎和江らが結成した「サークル村」の活動に加わり、機関誌に投稿する生活を続けた。『苦海浄土』第3章「ゆき女きき書き」の原型となる「奇病」は、60年1月にこの機関誌に発表された。
 石牟礼さんの生涯を読み解くキーワードを幾つかあげるとすれば、「死の衝動」「狂気」「渚」「もう一つのこの世」ということになろうか。
 石牟礼さんは戦後の46年1月から翌年7月にかけて3度の自殺未遂を繰り返し、55年にも、遺書まで書いて自殺を準備しつつも、まだ幼かった長男の発病により踏みとどまった体験をしている。そして、その想いは晩年までなくなることはなく、「早く死ぬつもりが88年も生きた」と後に語っている。
 それは何故か?私ごときが簡単に断ずることはできないが、子どもの頃からの純で鋭敏な魂を保ち続けた彼女には、この世のさまざまな不条理、醜さを、適当にごまかして生きることができなかったからではないかと思われる。二つ目の「狂気」は、その「死の衝動」と一対のものとも言え、幼い日に互いに世話をし、された、心を病んだ祖母との交わりが彼女にもたらした特異な才能とも言えるだろう。

 三つ目の渚は、彼女自身が「渚に立つ。海と山と、天と陸が交歓する。天草の祖たち、生と死の気配が満ちる……幼い道生をおぶって行商した薩摩の山中、筑豊のサークル村、東京の座り込みの現場、……。どこにいても、私は渚に立っていたのです」という、その渚である。ちょうど1年前に刊行された『評伝・石牟礼道子』の著者である米本浩二氏は「石牟礼道子は渚に立つ人である。前近代と近代、この世とあの世、自然と反自然、といった具合に、あらゆる相反するもののはざまに佇んでいる」と語っておられるが、その対比に「生と死」を加えても良いかもしれない。そして「はざまに立つ」ということは、相反する価値の間で常に緊張を強いられるということである。だからこそ彼女は「死の衝動」を捨て去ることができなかったし、それが生み出す狂気から束の間逃れるために創作活動を止めることができなかったのだと思える。
 最後の「もう一つのこの世」は、彼女が終生、夢に見、願い続けた世界である。彼女は言う。
 「私のゆきたいところはどこか。この世ではなく、あの世でもなく、まして前世でもなく、もうひとつの、この世である」
 さまざまな不条理、醜さを再生産し続けるこの世ではなく、また「あの世」でもなく「前世」でもない「もうひとつの、この世」。そのような世があるのかどうか。私には分からない。しかし、この世の生を全うされた石牟礼さんが、彼女が希求してやまなかった「もうひとつの、この世」に移住されたのだとすれば、彼女の死は祝って差し上げるべきことなのかもしれない。

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