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オピニオン「V時評」

『ウォロ』に掲載している「V時評」は、時代の一歩先を読み、新しい課題の発見や提言に努めるオピニオンです。

2017年4・5月号から2018年2・3月号
2016年4・5月号から2017年2・3月号
2015年4・5月号から2016年2・3月号
2014年4・5月号から2015年2・3月号
2014年3月号までの「V時評」はこちらから

V時評T【2019年4・5月号:掲載】
「安全」を脅かす同調者だけの空間

編集委員 増田 宏幸

 「鬼ごっこ」と「隠れん坊」は子どもの遊びの定番だ。もしかすると赤ちゃんをあやす「いないいないばあ」も、この二つの前段かもしれない。隠れたり出てきたり、追いかけたり捕まえられたり。日本だけでなく世界中に同種の遊びがあるらしい。でも、そこでふと思う。地域や世代を超えて受け継がれるには、それなりの理由があるのではないか?
 そもそも人が何かに追いかけられたり、どこかに隠れたりするのはどういった場合だろう。野生動物に襲われた時? 敵に攻められた時? もしそうなら、こうした遊びは周囲に危険があることを警告し、身を守る術を教えるために生まれたのかもしれない。そしてその遊びが続いているのは、人類が真の安全を手にしていない証明なのかもしれない。

 そんなことを考えたのは、今年3月15日にニュージーランド・クライストチャーチで銃の乱射事件が起きたからだ。50人もの人が亡くなったこの事件では、容疑者が自ら一部始終を撮影し、動画をインターネットにアップしていた。2011年7月22日には、ノルウェーで77人が犠牲になったウトヤ島事件が起きた。隔絶された湖の中に現場があり、事件を題材にした映画では犯人から隠れる被害者の姿が描写されている。被害者は安全な場所を求めて逃げ、それが無理なら見つからないように隠れるしかなかった。
 テロは現代文明社会の病理かもしれないが、実は「見知らぬ他人に攻撃される」という状況は、最近まで普通にあったようなのだ。ピュリツァー賞作家で学者のジャレド・ダイアモンドが著した『昨日までの世界』(日本経済新聞出版社)を読むと、例えば飛行機ができて初めてその存在が外界に知られたニューギニア高地の伝統的社会では、「知らない人間」はイコール「敵」を意味した。ある部族の領域に他部族の人間がうっかり入り込んだ場合、その人は殺されるか傷つけられ、あるいは反撃して相手を殺し、それが部族間の争いに発展することもあった。そうした抗争(戦争)における人口比の致死傷率は、20世紀の両世界大戦を上回るほどだったというから驚きだ。詳細は省くが、いま世界の一定の場所で、危険を感じずに見知らぬ他人と一緒にいられるのは、集団間の殺し合いを克服してきた「文明の恩恵」に他ならない。もちろん伝統的社会に学ぶこと(忘れられた美点)も多いのだが、こと安全に関しては、決して後戻りしてはならないのだ。

 しかし……。現在の状況を見ると、異なる考えや意見を敵視する新たな「部族社会」が数多く出現しているように思える。同じ思想で凝り固まり、同調者以外を敵視し、攻撃する人々。その極端な発露が、実力行為としてのテロだ。
 同じ意見だけが飛び交う空間を指す「エコーチェンバー」という言葉がある。閉じた入れ物の中で同種の考えが反響・増幅され、「やっぱりそうだ、自分は正しかったんだ」と安心する空間。エコーチェンバーこそ新たな部族社会であり、潜在的な脅威ではないだろうか。日本の国会を見ても、話のかみ合わないエコーチェンバー的質疑が増えている。沖縄・辺野古沖の埋め立て問題はその最たるものだ。
 異なる考え、意見を尊重することは民主的な社会を維持する土壌であり、その劣化は「安全」の揺らぎにもつながる。そのことを私たちはもっともっと重く受け止める必要がある。土壌を健全に保つために何ができるのか、来たる参院選での投票も一つの手段だろう。鬼ごっこや隠れん坊をたわいない遊びにとどめておくために、テロを生む土壌に目を凝らしたい。

V時評U【2019年4・5月号:掲載】
市民活動推進に人権感覚が必要なわけ

編集委員 永井 美佳

 年度が替わり、新しい事務局体制になったことを機に、大阪ボランティア協会(以下、協会)の職員全員で大切にしたいこととして次の三つを共有した。
 @大阪ボランティア協会の事務局員としてプロを目指したいこと、A世間の常識や自分の常識でものごとを決めつけないこと、B人の「いたみ」に敏感になれるよう感性を磨くこと――の3点である。特に、市民活動推進の世界でプロとしてやりぬくために、人権感覚を徹底的に磨き、身に付けることが必須であると強調した。すると、「『人権感覚』という言葉は初耳であり、ぴんとこない」と、民間企業から転身した新入職員から反応があり、私ははっとした。これまで、当たり前に使ってきた「人権感覚」という言葉だが、市民活動推進の文脈でその必要性を整理するとしたらどういうことだろうか。改めて考えてみた。

 人権感覚という言葉は、文部科学省の「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」が次のように定義している。「人権の価値やその重要性にかんがみ、人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを望ましいものと感じ、反対に、これが侵害されている状態を感知して、それを許せないとするような、価値志向的な感覚である」(2008年3月、「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」より引用)。つまり、人権が擁護されている状態を望ましいと感じ取ったり、侵害されている状態を許せないと感じ取ったりする心の働き、といえるだろう。このような感覚を身に付けることが、自分の人権とともに他者の人権を守るような実践行動につながると考えられている。この実践行動が人権擁護活動や人権啓発活動であり、その一つの形態がボランティア活動でもあるのだ。

 協会の目ざすボランティア活動の立脚点は三つあり、その一つは、基本的人権への正しい認識と擁護の活動である。そのことを、協会の基本要綱(1981年発行)では「基本的人権――つまり人間が人間らしく生きていくための人間の尊厳――への正しい認識が活動の立脚点、出発点でなければなりません。ボランティア活動はいわば基本的人権の擁護の活動であり、それゆえ単なる善意活動にとどまらず、差別や貧しさや困難をもつ人々とともに課題の解決をはかることであります」と記してある。「擁護」の意味は、「危害・破壊を加えようとするものから、かばいまもること」(三省堂『大辞林』第三版)なので、基本的人権の擁護の活動とは、人間が人間らしく生きていくうえで、何者かが危害や破壊を加えようとしたならば、他人事として見過ごさずにかばい守る行為、ということになる。ボランティア活動において、人権感覚はアンテナとなるのだ。
 アンテナの受信感度は高い方がよいし、人権感覚を身に付けた人材を育成することは協会の重要な仕事の一つである。どのような人を増やしたいかといえば、「課題の解決をあきらめない、もしくは、誰かのあきらめない生き方を応援するために、社会の課題を敏感に認知し、ときには多くの市民への可視化を通じて社会化するように動いたり、課題解決に向けての多様な手法を提案できる、そんな人材」であり、これが協会の目ざす人材育成像だ(2015年、「『アソシエーターの手引き』アクションガイドブック」より)。
 協会で市民活動推進の職に就くということは、自分の人権とともに他者の人権を守るような人権感覚と実践行動力が求められるのだと、職員全員へ改めて伝えよう。そして、協会創立以来継承されてきたDNAを、未来へ語り継げる立場にあることを誇りに思う。

 市民が裁判員を経験することの意味は何だろうか。まず、司法が身近になったり、自分の世界が広がったりすることがあげられる。また、事案に真剣に向き合うほど、被告人や被害者の立場になって考えてみたり、社会問題に目を向けたり、自分の生き方を見つめ直したりと、自分たちの問題として裁判員裁判を考えるようになることもあるだろう。かけがえの無い経験は、価値観を柔軟に変化させて、人間的な成長を促すことにつながるはずだ。社会の問題を自分ごととしてとらえ、その解決に向けてボランタリーに行動する人が増えると、必ずや市民主体の社会の礎になると筆者は信じている。

V時評T【2019年2・3月号:掲載】
神戸レインボーハウス20年

編集委員 磯辺 康子

 阪神・淡路大震災後、親を亡くした子どもの心のケア拠点として建てられた「あしなが育英会・神戸レインボーハウス」が、今年で開設20年を迎えた。
 今、大災害が起きれば、「親を失った子どもの支援が必要だ」と多くの人が思うだろう。しかし、阪神・淡路大震災が起きた1995年当時、その意識は当たり前ではなかった。国も自治体も多くの民間組織も、「災害時に何をすべきか」を事前に考えてはおらず、次々に直面する課題に走りながら対応する状況だった。震災遺児の支援にしても、行政はその人数さえ把握しておらず、必要性を社会に認識させたのは、あしなが育英会という一民間組織だった。

 573人。それが、阪神・淡路大震災で親を失った子どもの数とされている。あしなが育英会の奨学金を受給していた全国の学生やボランティアが、新聞の犠牲者名簿などを頼りに被災地を歩き、見つけた遺児だ。東京に本部を置く同育英会は、もともと阪神・淡路の被災地に足場を持っていたわけではなく、避難所の一角を拠点に活動を始めた。
 「ボランティア元年」といわれた阪神・淡路大震災の市民活動が語られるとき、被災者に対する直接的な支援が注目されがちだが、「遺児を捜す」といった地道な活動に多くのボランティアが参加していたことを忘れてはならないと思う。遺児は住まいも失い、転居を繰り返していることが多く、捜すのは簡単ではない。粘り強い活動の積み重ねで、初めて遺児の実態が把握され、その後の支援活動の基礎が築かれてきた。
 日本初となる遺児の心のケア施設「神戸レインボーハウス」は、震災4年後の99年1月、被災が激しかった神戸市東灘区に開設された。子どもたちが思い切り遊んだり、語り合ったり、放課後に勉強をしに来たり、さまざまな使い方ができる空間がある。開設当時、心のケアプログラムは震災遺児に限られていたが、その後、対象を病気や自死で親を失った子どもたちにも広げた。その経験を受け継ぎ、レインボーハウスは東日本大震災の被災地やエイズ遺児が多いアフリカ・ウガンダなど国内外に開設されてきた。
 神戸レインボーハウスは、約15億円の建設費がすべて寄付でまかなわれた。運営も寄付で支えられている。日本に「遺児支援」や「心のケア」を根付かせた拠点は、いわば「市民の力」で作り上げられてきた。かつて「日本には寄付文化がない」などと言われたが、20年のレインボーハウスの歴史を振り返ると、寄付文化の浸透を実感する。
 市民からの寄付は、遺児家庭に対する震災直後の支援金、奨学金にも充てられてきた。阪神・淡路大震災は「心のケア」の必要性を認識させる一方、生活や住宅という暮らしの基盤の再生がなければ、ケアは実を結ばないという教訓も浮き彫りにした。その観点からすると、物理的、精神的双方の支援を寄付で支えてきたことは、重要な意味があったといえるだろう。

 阪神・淡路大震災から24年がたった今年1月。震災で親を失った遺児や、被災で苦難に直面した子どもたちが成長し、経験や教訓を伝える姿があちらこちらにあった。自身の人生が多くの人に支えられてきたことに感謝し、もらった力を社会に返そうとする思いが伝わってきた。
 もちろん、24年たっても、心の傷がえない人はたくさんいる。年齢を重ね、震災当時より生活が厳しくなっていく人もいる。そんな中で、後世に経験を伝えようとする遺児たちの姿は、一筋の希望になる。近年の被災地の人々にも、未来があることを感じてもらえるかもしれない。被災地の未来は市民の力の積み重ねで切り開かれるということを、心に刻んだ震災24年、レインボーハウス20年の節目だった。

V時評U【2019年2・3月号:掲載】
市民が裁判員を経験することの意味

編集委員 永井 美佳

 2019年5月21日に裁判員制度は十年を迎える。既に7万人以上の人が裁判員を経験し、2万人以上の人が補充裁判員を経験している。そのうち95%以上の人が「(非常に)よい経験」と感じているにもかかわらず(最高裁判所「裁判員等経験者に対するアンケート調査結果報告書(平成28年度)」17年3月)、辞退率の上昇や出席率の低下が著しく、制度推進上の課題となっている。

 大阪ボランティア協会「裁判員″ル判への市民参加を進める会(以下、裁判員ACT)」は、19年1月、「よりよき裁判員制度実現のために〜裁判員制度がより市民から理解されるようになるための提言書」を大阪地方裁判所へ提出した。提言書は8項目で構成され、「裁判官と裁判員経験者とによる、各地での公開座談会開催」や「経験を話すことは守秘義務に違反しないとの具体的説明」などを提案している(http://www.osakavol.org/pdf/act_teigen190115.pdfに全文掲載)。
 今回の提言に至ったきっかけは、「裁判員裁判に対する関心が『(やや)低下している』」と回答した人のなかで、具体的な理由の割合が最も多かったのは、「自分の周囲で裁判員裁判に関わったという声を聞かない」という回答だったことだ(「裁判員候補者の辞退率上昇・出席率低下の原因分析業務」報告書、17年3月、株式会社NTTデータ経営研究所)。それならば、市民が経験者の声に接することができるよう、誰かがその機会をつくれば、改善の一助となるであろう。

 裁判員ACTは、毎年12月初旬に、市民を対象とした公開学習会を開催し、実際に裁判員や補充裁判員を経験した人(以下、経験者)の体験談を聞く機会を設けている。裁判員ACTメンバーで弁護士の英樹氏は、経験者が共通して述べる感想が3点あるという。@もし周囲の人や福祉が事前に手を差しのべていれば、この犯罪は起こらなかったのではないか、A刑務所を出所した時にどうなるだろうか、周囲の人が受け入れて社会復帰できるだろうか、B裁判員経験後は、事件報道を見たときに、その事件の背景には何があるのだろうと考えるようになった、というものだ(本誌519号5ページ参照)。
 ある経験者は、「被告人の自己責任だけでは片付けられないことが多くあり、人のつながりが薄れた地域社会にも問題がある」と思うようになったという。そして、社会のひずみを背景にした事件を一つでもなくしたいと思い、非行防止に取り組む少年補導員として活動を始めた。別の経験者は、仕事で依存症の人の支援経験があり、被告人には依存症の人によくある特性を感じたという。刑を重くすればよいという単純な話ではなく、更生に向けた適切な支援が必要だと感じたという。そして、「裁判員裁判は、見えない世界を見、社会の中で起こっていることを、自分ごととして感じられる場になってほしい」と話す。ほかの経験者も、裁判員裁判に参加して意識が変わったという人は多い。

 市民が裁判員を経験することの意味は何だろうか。まず、司法が身近になったり、自分の世界が広がったりすることがあげられる。また、事案に真剣に向き合うほど、被告人や被害者の立場になって考えてみたり、社会問題に目を向けたり、自分の生き方を見つめ直したりと、自分たちの問題として裁判員裁判を考えるようになることもあるだろう。かけがえの無い経験は、価値観を柔軟に変化させて、人間的な成長を促すことにつながるはずだ。社会の問題を自分ごととしてとらえ、その解決に向けてボランタリーに行動する人が増えると、必ずや市民主体の社会の礎になると筆者は信じている。

V時評T【2018年12月・2019年1月号:掲載】
情報交換と共有ができない―パノプティコン社会に想う

神野 武美

 行政機関や立法機関、裁判所が障害者の雇用数を水増しし、障害者雇用促進法に基づく障害者雇用率を偽っていたという再調査結果を厚生労働省が公表した。とくに驚かされたのは裁判所。障害者雇用者数641人のうち399人を水増し、雇用率2・58%の実際は0・97%だった(朝日新聞2018年9月7日付)。

 思い当たるフシがある。市民団体「知る権利ネットワーク関西」が08年10月7日、大阪地裁、高裁で行った「情報公開請求ツアーto裁判所」は、集団で公開請求することで情報公開の姿勢を検証する試みであった。裁判所は情報公開法の適用外だが、最高裁は下級裁判所に、「司法行政文書」は同法の基準により情報提供するよう求めた「依命通達」を出している。高裁に対し「障害者任免状況通報書」を請求すると、障害の程度や短時間勤務など雇用形態ごとに係数を掛けた計算上の「障害者数」7・0人と「実雇用率」2・06%は公開したが、なぜか、「重度」「知的」「視覚」といった障害別などの雇用の実数は全部黒塗りだった。「個人の権利利益を害するおそれ」というのが理由だった。
 裁判所の姿勢を非難しても障害者雇用率が上がるわけではない。古い話で恐縮だが、1992年に法定雇用率(当時1・8%)が未達成の大企業(従業員1000人以上)が大阪府に提出した「自社の取り組み状況」を異議申し立ての末、公開させたことがある。企業名は結局、非公開だったが、この資料をもとに、障害者団体は「(企業が「取り組み」として挙げた)湯茶業務やコピー業務は体力が必要で障害者向きではない」など、障害者の労働能力についての無知や発想の貧困さを指摘した。一方、ある人材派遣会社が主催した就職シンポジウムでは、企業の人事担当者から「企業名を公開した方が、障害者雇用について社内の理解が得られる」「他社の取り組みも知りたい」という声が上がった。国の情報公開審査会の答申(2002年11月)により、企業名入りの障害者雇用率が公開されるようになったが、旧労働省(厚生労働省)の姿勢は、企業情報に対する情報公開に消極的なままである。
 「水増し」の背景には、公共機関といえども「どうしたらよいのか」を知る機会が少ないという現実があるのだろう。役所(厚生労働省)は、企業や公共機関を指導監督、監視しているが、監視される側は、情報が公開されないため、お互いの状態や取り組みを知る機会がない。こうした状況を「パノプティコン社会」と言うらしい(本号26ページ「ライブラリー」参照)。中央にある監視所から放射状に配された独房を監視する刑務所の円形建物からの連想である。

 奈良少年刑務所(18年3月廃止)の職業訓練で、受刑者の情報処理技術者試験の合格率が5割を超し2割台の一般をしのいだ、という講演を聴いたことがある。受講者(受刑者)の横に講師が座り同じ画面を見て指導するなどして、分数もできなかった受刑者も合格した。ところが、別の刑務所では、講師が演壇から降りることが禁止され、受刑者は黙って話を聴くだけ。刑務所間の情報交換も情報共有がない、という報告であった。刑務所だから「パノプティコンで当然」? それは悪い冗談でしかない。

V時評T【2018年10月・11月号:掲載】
ダイバーシティ職場としてのNPO

大阪ボランティア協会理事長 牧里 毎治

 当協会の理事長をしていて報酬はどれくらいもらえるのか聞かれることがある。無償であると答えると、な顔をされる人もいる。この際だから、明確にしておきたいが、当協会はボランティア会員の運営参加で成り立っており、理事長は、その会員の代表ということであり、無償無給なのである。年会費も払うし寄付もする。会員の意思を代表して行事や催事のもするし、外部団体の会合でも会員を代表して挨拶もする。会員の総選挙によって選ばれたわけでもないので、会員の意見と総意を正しく反映させているかと問われれば、いささかたる思いになる。
 当協会は、社会福祉法人となっているが、組織内容としてはNPO法人に近い。会員参加型で運営を進めているし、事業といっても啓発活動やコンサル業、広報・出版業などが主たるものなので、直接的に保育や介護などのサービスを供給しているわけではない。市民がボランティアや助け合いなどの活動を促進し広めることを組織的に支援する団体で、インターミディアリ(中間支援組織)という性格がつよい。市民活動を自主的、主体的、組織的にしやすいように環境づくりや制度づくりをするなどアドボカシー(代弁・後援)の機能を果たすことがミッション(使命)であるといってもいいだろう。一枚岩の、目的も同一の組織ではなく、さまざまな社会課題を解決したいとやってくる個人およびグループ、団体、組織のネットワーク型集合組織なのである。

 企業とも行政とも違って、NPOは多様な構成員によって成り立つという特性をもっている。つまり無償のボランティアと有給・有償のスタッフとが混じり合って事業活動をしている組織ということができる。そもそも企業にも行政組織にも、無償・無給のボランティアが参加する習慣も制度も規則もない。かえって、無償・無給の人材をボランティアとして受け入れるとなると、途端にブラック企業、安上がり行政と非難・批判される羽目になる。
 企業や行政との比較で考えてみると、NPOは多様な人材をかす職場であるとともに、多様な働き方を柔軟に受け入れることができる組織であるともいえる。働き方改革の観点からいえば、ワークシェアもワーク・ライフ・バランスも可能な職場なので、フルタイム雇用からパートタイム就労、さらにホームワーク、ダブルワークや、請負型就業もできないわけではない。ダイバーシティな職場でもあるのだ。

 この職場の構成員にボランティアが加わると、さらに進んだ<_イバーシティ職場になってしまう。とりわけ事務ボランティアの参加の範囲が広がると、一層としてくる。スタッフ職員がやらなくてはならないコピーや情報整理、会員受け付け、会場設営などを無給・無償のボランティアが担当することになると、ボランティアの美名のもとに安上がりな労力として当てにすることにはならないか。あるいは職員の労働時間外や休日の活動をボランティアの立場でという扱いになると、本人の自由な意思での活動(いわば「嫌になれば、いつでもやめられる」こと)が保障されなければ労働基準法に抵触することにもなりかねない。
 実は、ボランティアとスタッフの間には、現場で活動するボランティアの荷を軽くするために、特に日常の事務を特定のボランティアが担当することでグループが成り立つ、という関係があったのだ。経常収支が潤沢になれば、専任の有給スタッフを配置することができるが、弱小零細なボランティア・グループではボランティアが事務局も担っていたのである。

V時評U【2018年10月・11月号:掲載】
避難所が象徴する災害対策の貧しさ

編集委員 増田 宏幸

 大阪北部地震に西日本豪雨、台風20、21号、北海道の地震と、梅雨時から夏にかけての日本はまさに災害の連続だった。多くの人命が失われ、家屋の被害が出た。交通機関がストップして出勤できなかったり、帰宅難民になったりした人も多かっただろう。かく言う私にもこんなことがあった。
 台風20号が近畿地方に接近した8月23日夜。JR大阪駅から、まだ動いていた各駅停車に乗った。電車は何事もなく進んだが、午後11時半ごろ最寄り駅の一つ手前で停止。「停電で運行再開は未定」だという。しばらく車内で待ったが状況は変わらず、タクシー会社に電話しても全くつながらない。たまらず「一駅歩こう」と決めて駅の外に出た。途端に、傘がひしゃげるほどの強風と土砂降りの雨。2、3歩進んだところで諦め、電車に引き返した。車内にはかなりの乗客がいる。シートに腰を下ろして「朝まで缶詰か」と思っていたら、一人の男性から声が掛かった。「○○まで帰るタクシーがつかまりました。一緒に乗る方はいらっしゃいませんか」。渡りに船とばかりに手を挙げ、他の女性2人と相乗りで最寄り駅にたどり着いた。そういえば……と思い出したのは、1995年の阪神・淡路大震災だった。状況こそ違え、こんな風に助け合ったな、と。

 「阪神・淡路」で思い出したのは、助け合いと同時に避難所の光景だ。厳冬の1月、寒さに震えながら、体育館や校舎の外まであふれた避難者。間仕切りといえばせいぜい椅子や段ボール箱しかなく、プライバシーはほぼゼロ。特に雑魚寝状態は、避難が長期化してもあまり変わらなかったように思う。あれから23年半。この間にあったさまざまな災害で見慣れた′景は変わっただろうか。
 新聞記事を調べたら、「阪神・淡路」より4年近く前に、避難所のプライバシーに触れた記述を見つけた。長崎県の雲仙・普賢岳噴火の被災者を取材した91年8月6日付の毎日新聞。「せめて、ついたてが一つあれば…」という見出しで、赤ん坊の夜泣きを気にする母親や、ストレス増大を懸念する医師の言葉を取り上げている。この当時から、現場ではプライバシーの問題が顕在化し、意識されていたのである。  個別には西日本豪雨被災地の岡山県倉敷市真備町で、世界的な建築家である坂茂さん考案の間仕切りが設置されたり、北海道地震で町の避難所に段ボールベッドが入ったりした例はある。だが問題が広く共有されたとは言い難く、「阪神・淡路」以来ずっと被災者支援を続ける坂さんも、次のように語る(9月13日付朝日新聞から抜粋)。
 「この23年間、自治体の側から『来てくれ』と言われたことは一度もありません」「どこに行っても役所の対応は同じです。『前例がないから必要ない』が大前提です。仕切りはない方が管理しやすいというんですね。陰で酒でも飲まれたら困るとか」「20年以上っても避難所の雑魚寝の風景は変わっていません」

 避難所というものについて、最低限備えなければならない共通した仕様を定め、制度化すべきだろう。事前に避難者数を予測し、プライバシーを確保しながら暮らすのに何カ所の避難所が必要かを逆算する。そのために必要な段ボールベッドや間仕切り、テントなどを備蓄する。とにかく安全な場所へ、という発災当初はともかく、状況がある程度落ち着いたら事前計画に基づいて避難者を各所へ誘導する。
 個の尊厳を尊重することが、避難所のバリアフリー化を進めるはずだ。社会的弱者を含めて全ての人が、せっかく助かった命をストレスや孤立によって失うようなことがあってはならない。こんな議論を今もしていること自体、災害対策の貧しさを象徴していると言えよう。次の災害は、いつまでも待ってはくれない。

V時評T【2018年8月・9月号:掲載】
オリンピックボランティアをめぐる課題

編集委員 筒井 のり子

 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)まで、あと2年を切った。今年は災害級≠フ猛暑が続いていることもあり、7月24日スタートという大会日程には、各方面から疑問と心配の声が上がっている。選手はもちろんのこと、観客、そしてボランティアにとっても極めて過酷な大会となることが予想される。
 今や、オリンピックにボランティアは欠かせない大きな存在となった。そもそもオリンピックに一般のボランティアが参加するようになったのは1948年の第14回ロンドンオリンピックからである。2000年のシドニー大会からは外国人ボランティアの参加が始まった。前回16年のリオ大会では約5万6千人、12年のロンドン大会では約7万人のボランティアが活躍した。東京2020大会では大会ボランティア(注1)8万人、都市ボランティア(注2)3万人、計11万人のボランティアの参加が計画されている。

 しかし、今回のボランティア募集については、大会組織委員会が今年3月に募集要項案を発表して以降、主にネット上で「参加条件が厳しすぎる」、さらには「やりがい搾取ではないか」と言った批判が噴出している。それらを整理すると大きく二つの論点があるようだ。一つは参加者の負担が大きすぎるというもの、もう一つは活動内容についてである。
 前者については、6月11日に正式発表された募集要項によると、@02年4月1日以前生まれで、活動期間中に日本国籍または在留資格を有する人、A1日8時間程度、基本10日以上活動できる人、Bオリエンテーションと研修に参加できる人、という条件が提示されている。ユニフォーム一式と活動中の飲食、ボランティア保険、および滞在先から会場までの交通費相当の額は支給されるが、自宅から滞在先までの交通費と宿泊は自己負担・自己手配である。これについて、(無償の)ボランティアにここまで求めるのは酷ではないか、という批判である。しかし、リオ大会でもロンドン大会でも1日平均8時間で2週間程度の条件が示されていたことを考えると、今回の東京大会が特別に厳しいというわけではない。また、研修等への参加を必須とすることも、より共感性の高い活動を作り上げていく上では必然性がある。
 後者については、当初、高度な通訳能力が必要と思われる活動が含まれていたため、専門職が担う仕事なのにタダ働きさせるのか、という批判である。これについては、確かに仕事として雇用するプロの通訳・翻訳者とボランティアとの役割の違いを明確にしておかねば、指摘されるような「やりがい搾取」になりかねない。

 これらの批判からは、ともすれば「活動日数や時間の減少」「宿泊費等の提供」「有償化」といった主張に流れがちだ。しかし、問題の本質は、単に時間を減らしたりお金を払ったりということにはない。参加するボランティア一人ひとりが、どれだけ自負心、すなわち「自分も大会を成功に導く重要な一員だ」という意識を持てるかが重要なのである。これから2年間、応募者のモチベーションをいかに維持し、エンパワメントしていけるのか。また大会期間中もどれだけボランティアが活動しやすいような仕組みや配慮ができるのか。そのためにどれだけの費用と時間をかけ、ボランティアマネジメントの専門性を発揮できるのかを問うていかねばならない。
 いずれにしても、本人が活動に共感し、条件を理解した上で、自主的に応募して来ることが大前提である。その意味から、今後の影響が心配な事案が発生している。7月26日にスポーツ庁と文科省が全ての国公私立大学長・国公私立高等専門学校長に対して、大会期間中の授業や試験の日程を柔軟に変更することを求める通知を出した。この通知を根拠に、動員的なボランティア集めが広がらないことを切に祈っている。

(注1)競技会場や選手村その他関連施設等で、観客サービスや競技運営サポート、メディアのサポートなど大会運営に直接関わる活動を行う。運営主体は大会組織委員会。 (注2)空港、都内主要駅、観光地、競技会場の最寄駅周辺及びライブサイト(競技会場以外で中継・イベントなど実施する場所)における観光・交通案内などを行う。運営主体は東京都。

V時評U【2018年8月・9月号:掲載】
市民活動における「合宿」の効用

編集委員 早瀬 昇

 7月下旬、運営委員を務める日本ボランティアコーディネーター協会の合宿に参加した。全国各地で活動している運営委員は、毎月、関東と関西で交互に開かれる運営委員会に出席する。しかし、旅費の補助がほとんどない状況で、全員が集うことは難しく、一回の会議時間も週末開催とはいえ3時間半ほど。そこで、創立3年目から毎夏、安価に泊まれ、会議室があり、かつ温泉もある……という場を探して、合宿を開いている。土曜の午後から日曜の午前中いっぱい、今年もしっかり議論をし、そして交流も深めた。
 この種の合宿―この場合は宿泊を伴った長時間の会議―は、多くの市民団体が実施している。本誌を発行する大阪ボランティア協会も、毎年11月と翌年3月に一泊創出会議、事業計画会議という1泊2日の合宿を開いてきた。そもそも協会の合宿の歴史を調べると、創設前の1965年7月に能勢の野外活動センターで開かれた第1回「ボランティアリーダーズ・トレーニングキャンプ」にさかのぼる。以来、何度も合宿が開かれ、70年には協会の事業運営を市民参加で進める「参加システム」誕生のきっかけとなった「温心寮会議」が1泊2日で開かれた。76年11月に「一泊拡大企画運営委員会」(翌年から「一泊創出会議」に名称変更)が開かれ、翌年3月に第1回「一泊予算会議」(今の事業計画会議)が始まった。さらに最近は年末に職員合宿も実施している。こうして見ると、協会は合宿をテコにして組織を成長させてきたとも言える。

 しかし、合宿にはかなりの経費がかかるし、参加者の自己負担も少なくない場合が多い。さらに拘束時間も長いのに、なぜ私たちは合宿を開き続けるのだろうか。それは、合宿を開くことが組織とメンバーにとって重要な意味があるからだろう。
 その理由として、まず考えられるのは「活動に節目を作る」ことだ。日々、目の前の活動に追われるなか、組織全体をした発想や中長期的な視点で活動を見直すことがおろそかになりやすい。しかし、ちょっとしたイベントでもある合宿では、少し先を見通した準備がなされ、中長期的な視点で活動を俯瞰する契機となる。  また、いつもは異なるプロジェクトに関わっているメンバーが集うことができれば、組織内の「一体感」も高まる。
 さらに、多くのメンバーがじっくり時間をかけて懸案を検討できることの意味も大きい。もともと合宿では日程調整などの準備が早く、その分、参加率も高くなりやすい。そこで、多くのメンバーとの意見交換で一定の結論が得られれば、その後の「活動を支える土台」を築くこともできる。

 これら組織にとっての意義以上に重要なのが、参加するメンバーにとっての意味だろう。
 会社を意味するCOMPANYの語源は「一緒にパンを食べる仲間」と言われている(注)。食事に誘うことが仲間づくりのテコになることはよくあるが、合宿では夕食や朝食を共にする。そこで仲間意識は当然に高まる。共感でつながり合う市民団体にとって、この点も重要だ。
 さらに入浴での「裸の付き合い」。夜遅くまでの語り合い。それに普段の活動では見られない意外な一面に接することもよくある。会場が温泉や緑豊かな場所などだったら小旅行の趣きもあり、「リフレッシュ効果」も期待できる。合宿の効用は、なかなかに広く深いといえそうだ。
 最近、ちょっと活動がマンネリ気味という皆さん。一度、合宿を計画してはいかがだろうか。もちろん、その合宿がマンネリになってしまわないよう、十分な準備と企画の工夫が必要なことは言うまでもない。

(注)語源由来辞典(http://gogen-allguide.com/ka/company.html)。ラテン語の「com(共に)」と「panis(パンを食べる)」の合成語に、仲間を現す「-y」が付いた語で、「一緒にパンを食べる仲間」の意味からきている。

V時評T【2018年6月・7月号:掲載】
「動員」されないために社会の実相に目を

編集委員 増田 宏幸

 最近、一番印象に残った言葉。
 「本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷であるは、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し中傷する点にある。本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである」
 政治学者、白井聡さん(京都精華大人文学部専任講師)の著書「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)から引いた。同書は、天皇への絶対忠誠を求めた戦前の「国体(注)」は敗戦によって消滅し、日本は国民主権の民主主義国へ転生したという常識≠否定。君臨する主体(主権者)が戦前の「天皇(菊)」から戦後の「米国(星条旗)」に変わっただけで、奉ずべき「国体」は継続し、一貫して米国への「異様なる隷属」が続いている、と論ずる。それを端的に示すものとして、日本国憲法に優越する日米安保法体系や、現在の言論状況を挙げる。「親米=愛国」「反米=反日」というねじれた認識がまかり通り、例えば沖縄の米軍基地に反対する者を「非国民」扱いする言説が、ネット空間だけでなく一部マスメディアや政治家からも浴びせられる。先に引用した「奴隷」とは、米国を頂く戦後国体の忠実なる臣民を指す。彼らは隷属状態を自らの利益とするので、奴隷であることを喜んで受け入れ、維持しようとする。沖縄の米軍基地に反対する(「お前は奴隷だ」と指摘する)者は、非難や誹謗中傷の対象となるのである。

 社会のさまざまな矛盾に向き合い、幅広い支援を得ながら課題解決を図る市民活動は「いま、そこにある危機」に目を向けがちだが、背景にある社会の価値観や政治の動向と無縁ではあり得ない。本書を長く紹介した理由は、自分たちが生き、活動している社会がどんな空間なのか、時には歴史も踏まえて実相を考える必要があると思うからだ。
 筆者はこれまでも本欄で沖縄の基地問題などを取り上げ、例えば「阿米(米国にること)こそ危機の本質」と訴え、安倍政権の「問答無用」体質を批判してきた。白井さんの論証を妄信するものではないが、現政権になって「米国の戦争」に日本が巻き込まれる可能性は格段に高まったと考えている。集団的自衛権の容認、安保関連法制定など米国に都合の良い現状改変を積極的に推し進めているからだ。
 一方、国内では何をしているのか。「森友・加計」問題に対する安倍首相答弁、財務事務次官のセクハラ問題における麻生財務相発言、近いところでは萩生田・自民党幹事長代行による「赤ちゃんはママがいいに決まっている」発言などを聞くと、情報公開や人権の尊重といった、市民社会に重要な側面については現状を変えたくないことが分かる。改変と維持――相反する態度に見えるが、矛盾はない。本物の奴隷は臣民として主権者に従い、一方で他者(沖縄や女性)が奴隷的境遇から脱するのを望まないのだ。

 普段はそこまで考えなくて良いことかもしれないが、国の政策や社会の空気がある方向に振れた場合、それに抵抗するのは非常に難しくなる。まして誤りが明らかならともかく、真相を判別しにくければなおさらだ。現に昨年の総選挙で「北朝鮮危機」はそんな旗印として掲げられたし、中国脅威論は常に私たちの隣にある。
 現実に向き合わなければ市民活動は成り立たないが、あまりに近視眼的に「社会の要請」に応えるなら、結果的に誤った活動を選択してしまう可能性もある。それはつまり、意図を持つ者に動員される危険性だ。
 政治や社会の潮流は刻々と変化する一方、多くの犠牲や悔恨の上につかみ取った教訓は普遍的な価値になり得る。自分たちの社会がどのように成り立っていて、現状はどうなのか、そして今後どんな社会(あるいは世界)を実現したいのか……。多忙な日々から一歩引いて考えることも、市民活動の成熟に不可欠ではないかと思うのだ。

(注)広辞苑によると「3 主権または統治権の所在により区別した国家体制。『国体の護持』」(語釈1・2・4は省略)

V時評U【2018年6月・7月号:掲載】
休眠預金活用への不信高めた内閣府のパブコメ対応

編集委員 早瀬 昇

 長期間(基本は10年間)取引のなかった預金「休眠預金」を社会課題解決の資金として活用しようという休眠預金等活用法が2016年12月に成立して1年半。昨年5月に休眠預金等活用審議会が設置され、今年1月には休眠預金の対象となる預金の公告と個別通知も始まった。来年1月以降、いよいよ活用の対象となる休眠預金が発生する。一方、休眠預金の活用で司令塔的存在となる「指定活用団体」の公募要領も発表され、秋には選定されることになった。

 休眠預金が注目される理由は、まずその規模の大きさだ。
 金融庁の調査では、毎年、新たに発生する休眠預金は16年度だけで約880万口座。過去に休眠預金となった口座でも後から払い戻しが可能だが、16年度の場合、払い戻しは約100万口座だけだった。休眠預金の金額も莫大で、16年度だけで約1270億円。同年度に払い戻しされた預金は約570億円で、差し引き1年で約700億円も休眠預金が増えている。1口座の平均預金額は1万円以下だが、休眠化する口座が多く、全体では巨額になる。
 この金額の規模と共に大きな影響が予想されるのが、活用法第16条で定める「資金の活用に関する基本理念」の解釈だ。
 条文には「社会の諸課題を解決するための革新的な手法の開発を促進するための成果に係る目標に着目した助成等」と記されている。この「革新的な手法」や「成果に係る目標」には様々な解釈がありえるが、その解釈次第では地道に取り組まれる継続的活動がないがしろにされたり、目に見えやすい短期的な「成果」ばかりが注目されかねないなど、休眠預金を活用するNPOなどにマイナスの影響を与えかねない懸念もある。
 この点も含め、審議会では9カ月間に11回の審議を重ね、5カ所での地方公聴会、40団体のヒアリングを実施した後、今年1月、「休眠預金等交付金に係る資金の活用に関する基本方針案」をまとめた。そして2月9日から3月10日まで、行政手続法にもとづく意見募集、いわゆるパブリックコメント(以下、パブコメ)を募集した。
 このパブコメを受けた審議を経て、基本方針が確定する。多くの人々がそう考え、全国から168件ものコメントが寄せられた。

 ところが、このパブコメ募集後に開かれた3月27日の審議会には驚いた。168件のパブコメに対して、いずれも基本指針に反映しない旨の回答集を当日、配布。内閣府の企画官が「パブリックコメントによって特段修正をしないということを、御報告申し上げます」と報告し、基本指針案は何も修正されず確定したのだ。審議会はわずか8分で終了した(注)。
 この対応への批判が広がる中、5月に開かれた審議会で内閣府の参事官は、パブコメは審議会ではなく内閣府の責任で実施するものであり、すべてのパブコメに回答しているから、法律上、手続きに問題はないと説明した。
 しかし審議会も関与してまとめる施策は、パブコメへの回答案を審議会に示し、そこでの議論を経て回答を確定するのが一般的だ。審議会での議論がなければ回答の妥当性を検証できず、ともかく回答を作文できれば良いというアリバイ作りと化してしまうからだ。
 本来の所有者の意図に関係なくなされる休眠預金の活用には、国民的な合意と共感が特に必要だ。パブコメを通じてこの制度の改善を願う人々の提案を可能な限り受け入れていれば、この制度への信頼が高まることになっただろう。
 その機会を生かさなかったことで、内閣府は制度への不信感を高めることになった。その上、内閣府が作った指定活用団体の公募要領には、基本方針にはない内容も加わっている。それは、指定活用団体の体制イメージの評議員構成者に挙げられた「政界」代表だ。元々、議員連盟の資料には入っていたが、審議会ではまったく議論されていない。これでは政治の世界からの圧力があったのかという疑念も浮かんでしまう。
 内閣府はスケジュール重視で粛々と準備を進めるまえに、まず国民の共感を高めるための丁寧な手続きを重視すべきである。

(注)内閣府のホームぺージ「休眠預金等活用審議会」
http://www5.cao.go.jp/kyumin_yokin/shingikai/shingikai2017_index.htmlからダウンロードできる動画および議事録より。5月審議会に関する記述も同様。

V時評【2018年4月・5月号:掲載】
石牟礼道子さんを偲ぶ

編集委員 牧口 明

 この2月10日に石牟礼道子さんが亡くなられた。水俣病問題を扱った『苦海浄土――わが水俣病』で多くの日本人に(そして、海外でも)よく知られた作家である。
 石牟礼さんは1927年に現在の熊本県天草市で生まれたが、それは、その時期一家が一時的に居を移されていたためで、本来は水俣のご出身である。年表風に言うと、この時期すでに、水俣では日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場の排水による漁業被害が出ていた。
 早熟で利発であった石牟礼さんは、小学校に入り、文字を習って作文を学び始めるとその魅力にとりつかれた。その時の感想をのちに、「『つづり方』というのを書いてみると、現実という景色が、いのちを与えられて立ち上がるのである」「この世を文字で、言葉に綴り合わせられることに驚いた。文字でこの世が復元できる。世界がぱーっと光り輝くようでした」と語っている。そして、40年に13歳で水俣町立水俣実務学校に入学すると歌づくりを始める。「生まれつきの文学者」であったと言える。敗戦後の47年には歌集『虹のくに』を自費出版してもいる。

 しかし、その文学的才能を存分に発揮できる環境は彼女に与えられなかった。先の歌集刊行と相前後して結婚したからである。夫は次男で教員であったとはいえ、当時の「農家の嫁」の置かれた立場は極めて弱いものであった。文学活動はおろか、朝の水くみの途中で、ちょっと拾った新聞を読んでいただけで「あの嫁は朝から新聞を読んどった」と噂される生活環境だった。
 それでも彼女は、歌誌の同人として活動を続け、58年には、上野英信・晴子夫妻や、谷川雁、森崎和江らが結成した「サークル村」の活動に加わり、機関誌に投稿する生活を続けた。『苦海浄土』第3章「ゆき女きき書き」の原型となる「奇病」は、60年1月にこの機関誌に発表された。
 石牟礼さんの生涯を読み解くキーワードを幾つかあげるとすれば、「死の衝動」「狂気」「渚」「もう一つのこの世」ということになろうか。
 石牟礼さんは戦後の46年1月から翌年7月にかけて3度の自殺未遂を繰り返し、55年にも、遺書まで書いて自殺を準備しつつも、まだ幼かった長男の発病により踏みとどまった体験をしている。そして、その想いは晩年までなくなることはなく、「早く死ぬつもりが88年も生きた」と後に語っている。
 それは何故か?私ごときが簡単に断ずることはできないが、子どもの頃からの純で鋭敏な魂を保ち続けた彼女には、この世のさまざまな不条理、醜さを、適当にごまかして生きることができなかったからではないかと思われる。二つ目の「狂気」は、その「死の衝動」と一対のものとも言え、幼い日に互いに世話をし、された、心を病んだ祖母との交わりが彼女にもたらした特異な才能とも言えるだろう。

 三つ目の渚は、彼女自身が「渚に立つ。海と山と、天と陸が交歓する。天草の祖たち、生と死の気配が満ちる……幼い道生をおぶって行商した薩摩の山中、筑豊のサークル村、東京の座り込みの現場、……。どこにいても、私は渚に立っていたのです」という、その渚である。ちょうど1年前に刊行された『評伝・石牟礼道子』の著者である米本浩二氏は「石牟礼道子は渚に立つ人である。前近代と近代、この世とあの世、自然と反自然、といった具合に、あらゆる相反するもののはざまに佇んでいる」と語っておられるが、その対比に「生と死」を加えても良いかもしれない。そして「はざまに立つ」ということは、相反する価値の間で常に緊張を強いられるということである。だからこそ彼女は「死の衝動」を捨て去ることができなかったし、それが生み出す狂気から束の間逃れるために創作活動を止めることができなかったのだと思える。
 最後の「もう一つのこの世」は、彼女が終生、夢に見、願い続けた世界である。彼女は言う。
 「私のゆきたいところはどこか。この世ではなく、あの世でもなく、まして前世でもなく、もうひとつの、この世である」
 さまざまな不条理、醜さを再生産し続けるこの世ではなく、また「あの世」でもなく「前世」でもない「もうひとつの、この世」。そのような世があるのかどうか。私には分からない。しかし、この世の生を全うされた石牟礼さんが、彼女が希求してやまなかった「もうひとつの、この世」に移住されたのだとすれば、彼女の死は祝って差し上げるべきことなのかもしれない。

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